AmazonやGoogleの存在によって,自分の読む本の範囲が狭まった気がする

ニートの19歳女の子を札幌『紀伊国屋』に連れてったら感動して泣かれた話

逆に本屋と言うのは、ほぼ全ての本が平等であり、どれを買うかは本人が調べ、考え、選び、そして購入に至ります。

本屋さんだって,「ポップ(『オススメ』・『ベストセラー○位』・『泣けます』とかってタグのこと)の有無」とか「陳列されている場所」などが違うので,すべての本が平等ではありえない.しかし,Amazonとなると不平等度がさらに高くなる.つまり「レビュー」や「この商品を買った人はこんな商品も買っています」とかの存在によって,プッシュされる本とそうでない本の格差が広がる.だから,平等である,とまでは言えないが,確かに本屋のほうが不平等度は低い.

だからこそ,AmazonやGoogleで本を探すのに比べて本屋さんの方が,「宝探し」のような感覚が強い.本屋さんにたまにいくと感じるワクワク感は,Amazonでは味わえない.シーンとした店内で立ち読みする快楽ってのがAmazonでは味わえないから.本屋だと誰に勧められるわけでもないのに,ふと手にとってパラパラめくった本が,いい本であったりするから.

AmazonやGoogleの存在によって,自分の読む本の範囲が狭まった気がする.「経済学,統計学,ファイナンス,経営学,データ解析,ロジカルシンキング関連で何かいい本ないかな?」というスタート地点からAmazonやGoogleで探すことが出来るので,自分の興味がピンポイントで満たされるようになった反面,自分があまり興味ないはずの分野の本を本屋さんでふと手にしてそれを気に入る,という経験をしなくなる.

ネットが進化してロングテール,nerd,少数派をつなげることが可能になった.その結果,マニアックで偏ったグループが形成される.しかし,そうして形成されるグループ間のコミュニケーションが薄くなっているような気がする.

Amazon,Google,信頼している書評サイトなどで気になった本をはてブしまくっているんだけど,それを見れば,僕の興味のある本がいかに偏っているかが分かりますw

積読積読積読!読みたい本はたくさんあるのに,全然消化できず・・・速読力が必要.dan kogaiが羨ましい.

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