アカデミックな経営学の理論が、網羅されています。でも頭でっかちでは決してなく、ビジネス現場の第一線で活躍されている名経営者(柳井正さん、孫正義さん、永守重信さん、三木谷さん、鈴木敏文さん、豊田章男さん、など)の言葉も、たびたび引用され、実践へのインサイトに富む本です。
僕がこれまで読んだビジネス本の中で恐らくNo.1です。当面これを超えるビジネス本に出会う事もないと思います。
僕は経済学修士@慶應を2008年に取得し、2012年にNinbariの社長になりました。修士2年しかやりませんでしたが、英語の査読付学術雑誌に研究業績を出したこともあり、学術業績を出す大変さを知っています。ほぼ高確率で”reject(掲載拒否)”される世界です。僕がもらった”reject(掲載拒否)”された際の文面の一例をあげると、”This is nothing more than an exercise(杉山意訳:「これ、研究というか、単なるエクササイズだね。」”です。代表取締役社長も約8年やっていて、経営の大変さも身にしみて知っています。
そんな僕が、「これまで読んだビジネス本の中で恐らくNo.1」と感じました。できれば競合他社の社長には読んでほしくないとすら思いました(笑)。というのは半分冗談なのですが、ぜひすべてのビジネスパーソンに手にとって読んでいただきたいと思います。本当に、稠密に、先人の知識が、ぎっちり詰まり過ぎています。
「世界標準の自然科学」を知りたい場合、有名な科学雑誌”Science(『サイエンス』)”や”Nature(『ネイチャー』)”にそれが書いてあります。同様に、「世界標準の経営理論」を知りたい場合は、経営学の世界で『サイエンス』は『ネイチャー』に相当する、経営学の世界の学術雑誌(たとえば、”Academy of Management Review”が最高峰の一つ)に書いてあるわけです。本書では、そんな学術雑誌に掲載された経営学の理論を、片っ端に、一般ビジネスパーソン向けに、紹介されています。そう、片っ端にです。
どれくらい「片っ端」にかというと、次の3つの切り口から、「片っ端」に紹介してくれています。
- 経済学
- 心理学
- 社会学
「1.経済学」
「1.経済学」が最初の切り口です。
経済学で「完全競争市場では、企業の超過利潤がゼロになる」という命題があります。でも実際に企業は儲けています。儲けているということは、命題の待遇をとると、「儲けているということは、完全競争市場ではない」という命題が導かれます。有名なマイケル・ポーターの理論が言っていることは、実はこの事に過ぎません。つまり、「いかに、完全競争市場ではない状況を作り出すか」が、「いかに儲けるか」につながる、と主張しているわけです。具体的にどうすればよいかというと、「差別化する(真似できないようにする)」「参入障壁をつくる(いかに独占市場に近づけるか)」ということです。
菅政権が携帯通信業界は寡占状態で高すぎる、と現在言っている話は、まさにこの理論で理解できます。これはドコモやauやソフトバンクが怠慢で悪い、というのではなくて、寡占状態になってしまっていることが悪い、という話ですね。だから、楽天などにも参入させよう、とか、そういう話になるのでしょう。
しかし、このポーターの理論、考えてみるとけっこう変な話です。経済全体のことを考えると、完全競争市場に近い状態のほうが望ましいことになります。望ましい状態を、パレート効率的と言います。独占市場だと、パレート効率性が実現しないので、経済全体では望ましい状態ではないです。だから、政府は、独占市場ではなく、なるべく完全競争市場に近い環境をつくるべし、と、ミクロ経済学は教えてくれます。一方で、企業目線で言うと、「いかに独占市場に近づくか」を考えるべきなのです。それがポーターの理論なのですが、「企業は社会の公器で、社会に貢献します」と公言する企業が、経営戦略として利潤最大化を目指し、「独占市場にどう近づくか」を内心考えているとすれば、その帰結は「パレート効率的な、経済全体では望ましい状態から逸脱する」ということになり、なんとも皮肉だなと思いました。
もうちょっと皮肉的な見方をすると、競争度合が激しく、誰でも参入できるような市場で戦い、利益率0とまで言わずとも、ほぼ0でがんばっている中小企業は、(パレート効率的な資源配分の実現を通じて)社会に貢献している、とも言えます。実際には、単なる怠慢な中小企業もいるでしょうし、資質のない後継者(要は、社長のドラ息子など)が経営をおかしくしていたりもするでしょうから、そんな理論的に単純な話ではないのですが。
さて、ポーターの理論は静学的ですが、動学的分析をしている、有名な「ゲーム理論」も、もちろん紹介されています。(ラッセル・クロウの映画、『ビューティフル・マインド』とかで有名な理論です。)
なお、ポーターの理論とよく対比されるバーニーの理論(RBV)は、トートロジカルなので、あまり僕は好きではありませんでした。どういう事というと、この理論は、下記のような主張をしているからです。
- 「他社には真似できない希少なリソースをもつ企業は、競争優位性をもつ。」
- 「競争優位性とは、他社には真似できない希少なリソースを活用した競争戦略を実行できることである。」
- 「他社には真似できない希少なリソースをもつ企業は、他社には真似できない希少なリソースを活用した競争戦略を実行できる。」
「トートロジカル」とは、「若い人は若々しい」と言っているような状態を言います。
「2.心理学」
「2.心理学」の切り口は、「行動ファイナンス」とか「行動経済学」と言ったほうが分かりやすいでしょう。「1.経済学」は厳密に数学を使った精緻な社会科学なのですが、実はものすごく非現実的な仮定をおいています。”Perfect Rationality(完全合理性)”の仮定です。どういう事かというと、「人間は、一瞬で、まるでコンピュータかノーベル賞受賞者レベルの脳で、難しい数式を解けてしまう」という仮定です。非現実的ですね、経済学って。だからこそ、微分できるようになり、最適化問題を数式で解けてしまい、社会学の女王と呼ばれるのですが。でも、その非現実性に対する批判から生まれたのが、「行動ファイナンス」とか「行動経済学」なわけです。こちらは、「限定合理性」の立場をとります。つまり、一定の範囲で合理的に人間は行動するけれど、限界がある、ということです。そう仮定するほうが、かなり腑に落ちます。
「2.心理学」の切り口でビジネスパーソンの間でも最近流行りの理論は「ダイナミックケイパビリティ」でしょう。これは、”Routine”と、「1.経済学」で紹介される”RBV(Resourced Based View)”とを組み合わせた理論であり、具体的には、(本書から引用します)
「企業がたえずリソースを組み合わせ直すプロセス」
入山 章栄. 世界標準の経営理論 (Kindle の位置No.5649). ダイヤモンド社. Kindle 版.
です。
流行りのは判断に、「2.心理学」の切り口で伝統ある理論は「SECIモデル(組織の知識創造理論)」でしょう。これは、一橋大学の野中郁次郎教授(少し前に、日経新聞の「私の履歴書」を書かれていた、大変高名な学者です。)が構築した有名な理論です。簡単にいうと、「情報」と「知識」は違う、という問題意識が理論の出発点になっています。さらにいうと、いまやビジネス現場でも頻繁に使われる「暗黙知と形式知」という言葉は、SECIモデルで有名になりました。こう書くと偉大さが伝わるでしょうか。これらの事からわかることですが、AI、デザイン思考、イノベーションという概念が重要視される現在や未来において、SECIモデルはより有用性を増します。その文脈では、下記が特に印象に残りました。
デザイン思考分野で注目を集める佐宗邦威氏は、デザインとは、「暗黙知を形式知化すること」と断言する。
入山章栄.世界標準の経営理論(Kindleの位置No.5153-5154).ダイヤモンド社.Kindle版.
記事の途中ですが、佐宗邦威氏の本はとってもおすすめなので、下記にリンクします。
「3.社会学」
「3.社会学」の切り口は、「人と人との、社会的なつながり」に注目した理論です。この理論がなぜ重要かというと、下記の通りです。
- SNSでの「つながり」に関する分析ができるからです。
- 地域コミュニティのあり方の分析ができるからです。
- 「そうは問屋が卸さない」という言葉の重みを理解できるからです。
- 「ブローカーのあり方」「商流のあり方」をより理解できるからです。
- 「1.経済学」の考えとは真逆に、「競争をするほうが、生き残りやすい」という不思議なロジックも理解できるからです。(red queen理論です。)
- 日本の携帯メーカーや、家電メーカーがガラパゴス化して、国際競争力を失ってしまった理屈も理解できるからです。(新red queen理論です。)
- 新興国の常識(例えば、賄賂は当然)と、日本の常識(例えば、賄賂は絶対悪)があまりに違うので、現地法人は板挟みになって悩むという心理がよく理解できるからです。(制度理論、非市場戦略です。)
さいごに
すごく分厚い本で、著者自身、「辞書的に使って」「ぜんぶ読まなくても使える」と言ってます。しかし、あまりに面白いので、ついつい全部読んでしまいました。しかも、じっくりと。
なんども繰り返し強調されるのが、
- ビジネスではイノベーションが重要
- イノベーションとは、既存知識の新結合・新しい組み合わせ。(シュンペーターの定義)
- ならば、1.いかに既存知識を多く持つか、2.いかに新しい組み合わせを試せる状況をつくるか、が大事である。
ということです。ビジネス現場にせよ、アカデミックな経営学にせよ、結局、この事を追求しているに過ぎないと僕は思いました。
例えば僕の会社(Ninbari)では、『稟議書を書くだけだと、「キリン」は生まれないので、たまに社長決済で、キリンの種をばらまこう』と言っています。
「首を伸ばしましょう」という稟議書を太古の昔に書いたとしても「なんで?地面に落ちている葉っぱをたべたらいいじゃない」とか「足を早くすれば、ライオンから逃げられるじゃない」とか突っ込まれて、きっと、通らなかったと思います。いろいろ、ランダムに遺伝子が突然変異してみた結果、たまたま「首をのばしにいった」生き物がいて、たまたま、それが生き残った、わけです。
ダーウィンの進化論もたまに誤解されていますが、「変化に対応できるものが生き残る」のではありません。「ランダムに多様な突然変異の遺伝子がたくさん発生し、その中で環境の変化に対応できた遺伝子が生き残れる」と言っているだけです。いろいろランダムに突然変異していて、生き残ったものはたしかにいるけれど、その背景で、たくさん生き残れていないわけです。「環境の変化に対応し、その結果生き残った」わけではないのです。ここが大事です。
現代でも多様性を重視しているのは、まさにこの理由です。ダーウィンの進化論、シュンペーターのイノベーションの定義を注意深く読めば、多様性の重要性が理解できます。
この文脈から、LGBTの重要性も理解できます。「首をのばしにいったキリン」「首を縮めにいったキリンの反対の生物」がいたとき、どっちが生き残れるかは、未然にはわからないわけです。「いやいや、首が長いほうが葉っぱ食べやすいでしょう?」というのは、事後的にわかることであって、事前には「首のばしたら、首噛まれやすいし、走りにくいから食べられやすいじゃん」とか「首に短いほうが、逆に首噛まれにくいし、走りやすいから食べられにくいじゃん」とか言われていたかもしれません。でも、事前に、どちらがsurviveできるか、わかりません。だからこそ、「首をのばしにいったキリン」「首を縮めにいったキリンの反対の生物」は、お互いの存在を認め、多様性を大事にするべきなのです。
ところで、「事後的・事前に」など書きながら思いましたが、多様性といっても、一様分布させる必要はなく、ベイズ統計学の発想で、「多様性の範囲は広めとしても、どの辺を手厚く突然変異させてみるか」という発想があったほうがいいのかもしれません。種の起源では、それ書かれているのでしょうか?不勉強で知りません。キリンの例だと「足を変化させる突然変異はほどほどに、首を変化させるところを重点的に突然変異させよう」みたいな発想ですね。
さらに言うと、その突然変異の条件は時変するかもしれません。氷河期には、「足を変化させる突然変異はほどほどに、首を変化させるところを重点的に突然変異させよう」となり、温暖化のときにはその逆、となるかもしれません。
この考え方をビジネスに応用すると、「不景気では、研究開発まわりを大胆に多様に突然変異を試してみると生存確率が高まる」となる一方で、「好景気では、越境人材をいかに集めるかという突然変異をたくさん試してみると生存確率が高まる」みたいな理論が導かれるかもしれません。
もし僕が研究者の道を選択していたら、この仮説を正当化するよう、実証分析の結果を操作すべく操作変数を使って統計解析を行い、戦略的に学術誌に投稿し、「世界標準の経営理論」を打ち立てるところなのですが。いまは会社経営の仕事が忙しいので、またあしたから社長業をがんばります。。。老後の楽しみが増えました!
本当に、とってもいい本です。心底、おすすめです。現実のビジネスにせよ、学術的な経営学にせよ、結局「人間ってなんだ?どう考え、どう感じ、どう行動する生き物なのだ?」を追求しているだけだな、と思いました。だからこそ「商売上手は、人たらし」なのでしょう。ぜひ皆さん、読んでみてください。
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