マインドフルネス(瞑想)を習慣にしてからすごく心が落ち着くのですが、この本を読んで、その背景にあるブッダの考え方をより深く理解できたので、瞑想がなぜ効果があるか、腑に落ちました。心が彷徨う、落ち着かない、いつもぼんやりとした心配事が頭から離れない、という方は、本書を読んで瞑想の効果を腹落ちさせると良いかもしれません。
瞑想の基本は、身体の感覚に意識を集中させることで、心が彷徨い雑念が浮かぶのを防ぐことなのですが、本書では、それをサティと読んでいます。
これらの二つの方法──①言葉で確認する、②感覚を意識する──は、ブッダが生きていた時代には、「サティ」(sati)と呼ばれていました。禅の世界では「念じる」、瞑想の世界では「マインドフルネス」と呼ばれています。
位置: 418
瞑想で目を閉じた方が効果が高い理由も腑に落ちました。目を閉じていても、開いていても、脳は常に彷徨っています。毎秒のようにいろいろな雑念が浮かびます。でも、目を閉じて開くと、雑念(妄想)とそれ意外(現実)が明確になるんですね。
このとき、さっきまで脳裏に浮かんでいた映像は、存在しませんね。「さっき見ていたものは、妄想である」「今見ているのは、視覚(光)である」 と、はっきり意識してください。 こうして、妄想と、それ以外の状態とを見分けられることが大事なのです。「妄想」対「視覚」、「妄想」「カラダの感覚」です。
位置: 467
「カラダの感覚」に集中できるという点で、筋トレにも同じ効果があると思います。ライザップのトレーナーさんがよく「どこの筋肉を鍛えるのか、意識しましょう!筋トレの効果が高まります!」と言っていました。心とカラダは繋がっているとは良く言ったものだな、くらいにしか当時思っていませんでしたが、マインドフルネスの観点からも効果があるんでしょうね。「いま、ここ、この筋肉」に意識が集中せざるを得ないので、雑念なんか浮かびません。特にキツいトレーニングをしているときは、全身全霊で全集中力を結集しないと、重たいダンベル、持ち上がりませんからね。
そして、これなんかけっこう笑ってしまいました。
ブッダは、ふつうの人なら腹を立てるようなことを言われても、「無反応」で返しました。
位置: 1,006
このブッダの合理的態度から学べることは、「反応しないことが最高の勝利である」 という理解です。
位置: 1,009
まぁ、合わない人とは付き合わないことですね。無視しちゃえ、ってことですね。
理想は、①過去の 記憶 にも、②現在の 相手 にも、反応しなくなるまで、距離を置くことです。物理的に、あるいは時間的に、です。
位置: 1,419
とまではっきりいっているのですが、同時に、
ここでも、「いずれは、理解し合えるだろう」「困ったな。でも、そのうち解決できるだろう」と、大きくかまえたいものです。人の心は無常だし、状況もやがて変わります。「とりあえず、距離を置こう」と考えるのです。
位置: 1,420
とも述べていて、時間が解決することもあるよ、とも諭してくれています。ここからも分かる通り、基本的に、反応しない、ということが本書のテーマなのですが、反対に、快楽については意識的に反応しよう、とも言ってくれています。
「快を見つける」というのは、仕事や作業を「積極的に楽しむ」ということです。あえて「快で反応」してみせること。「楽しんでいるぞ」と努めて意識することです。 ここは本書のテーマである「反応しない」というのと、逆のアプローチをとります。「反応しない」というのは、欲や怒りや妄想といった、マイナス、ネガティブな反応についてです。 逆に、自分の気持ちを盛り上げてくれる「快の反応」は、意識してやってみるとよいのです。「面白いぞ」「頑張っているぞ」と、ポジティブな反応をします。 「快で反応しよう」と心がけていると、ふだんの「ぼんやり心」から、徐々に「すっきりと楽しい心」に変わっていくものです。
位置: 1,847
読んでいてよく理解できなかったのは、「判断」についてのくだりです。著者は、「判断」について、なんだかネガティブなものだと捉えているようでした。「判断」について僕の考えを書いておくと、「意思決定(判断)には莫大なエネルギーが伴うので、なるべくその回数を減らすべし」です。だから、なるべくルール化、自働化しておくのがコツだと思っていましたので、著者の言うことと、方向性は同じな気もします。
例えばスーツ。今日は何色のスーツにしようかな、靴はどう合わせようかな、ネクタイはどうしよう、とか。こういう判断(意思決定)はすごく不毛なので、reduce(削減)するために、僕はスペアスーツをたくさんつくって、同じスーツを着ています。僕のことを知っている方、僕が何を着ているか思い出してほしいのですが、僕はいつも同じようなスーツを着ていますよね?実は、2種類(濃紺とダークグレー)しか、そもそももっていません。もちろん2着だと足りないので、スペアをたくさんもっているだけなんです。我が家の朝の風景では「今日はどのスーツを着ようかな」と僕が言いい、家族が「パパ、そもそも2種類しかもっていないじゃない 笑」と返したりします。
会社での意思決定(判断)も、なるべく組織マネジメントでやりたいので、なるべく僕は細かいことの意思決定に関わりたくないんです。疲れますからね。末端の意志決定まで事細かに口を出したいタイプの社長もいるでしょうけれど、よくそんな時間とエネルギーがあるなと思ってしまいます。僕は、肝心なときのためにエネルギーをとっておきたいんですよね。僕のこと知っている人ならわかると思いますが、「そんなしょうもない判断(意思決定)を僕に仰ぐな(笑)」オーラを出しています。オーラだけじゃなくって、ちゃんと規定文章にも書いて権限移譲もしています。
話を本書に戻して。
判断する心には、わかった気になれる気持ちよさと、自分は正しいと思える(承認欲を満たせる)快楽があるのです。 だからみんな、判断することに夢中です。
位置: 560
「俺は偉い」と思いたいから判断するということなのでしょうか?
「判断自体が気持ちいい」ことと「承認欲が満たせる」ことが理由でしょう。 この二つの理由は、まさに、〝慢〟の正体そのものです。
位置: 670
ここまで読んで思いましたけれど、たぶん、僕は「慢」がほとんど削ぎ落とされています。「慢」が何かというと。
人を苦しめる「判断」には、「自分はエライ」「正しい」「優れている(はずだ)」と肯定しすぎる思いもあります。仏教では、こうした心理を〝 慢〟と呼びます。 〝慢〟は、いっときは自分を肯定できる気がして心地よいのですが、高慢、傲慢、プライド、優越感といった思いは、結局、不満や、うぬぼれゆえの失敗を招いて、損をします。
位置: 644
もちろん自分よりすごい人は世の中にはたくさんいるんですけど、僕は、別に嫉妬心とか劣等感とか感じて苦しむとかないんですよね。逆も同じです。自分よりすごくない人を見て、優越感を感じて心地よい気分に浸るとかもないんですよね。なぜなら、自分を正しく理解していたら、劣等感も優越感も感じないからですね。負けていて当然、勝っていて当然、と感じるので、ポジティブな感情のネガティブな感情も湧いてこないんですよね。でも、人間って一般にはこの「慢」が棲み着ているものだということに気づけたので、勉強になりました。というか逆に、「心が彷徨い、慢が住み着いている生き物」が「人間」の定義なのかもしれませんね。話逸れますけれど、定義するとき、特徴や性質から逆に考えるというのは、数学のお家芸です。例えば、高次元での距離の定義とか。
最後に関連本。心身ともに健康に、幸せな人生を過ごすために、この辺りの本が、オススメの本です。
(関連本)
コメント
[…] 『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え… […]