両方を読んだ(読んだ順番に並べた)。
前者は、専門知識がないとつらい。専門知識とは、学術的な知識・金融実務的知識の両方。僕は学術的なことは分かったが、実務の知識がないので、実際どういう取引があったのかを説明するところを読むのに最後まで馴染めなかった。著者は修士号まで持っている。
後者は、小説。こっちは、予備知識がなくとも読める。ちょっと入り組んだ複雑な取引の説明も軽く紹介されてるし、時間をかければ理解できる。著者は、ジャーナリストらしいのでファイナンス理論に登場する数式の意味はあまり理解していないんじゃないだろうか、と思ったが、平易な言葉でうまく説明している。
二冊両方読むことで、両方の最小公約数が真実だったんだろう、というguessをすることが出来る。というわけで、金融の実務家や、ファイナンスに関心のある学生とかは両方読むと楽しめると思った。というか、僕は楽しめた。
さて、中身について少し書いておこう。LTCMに対する銀行の与信の態度は、1970年代からバブル崩壊まで、リスク管理という概念すら知らずに土地さえ担保にあればいくらでも貸し出す、という日本の銀行の貸し出し態度に似ていると思った。日本の銀行は土地さえあればOKと思ったが、LTCMの場合、圧倒的な学歴を持つスーパーマン集団に対する憧れ、これが担保代わりにようなものになってしまったようだ。
そして破綻した理由について。前者を読んでいたら「ロシア政府が国内銀行に対して、一ヶ月の為替取引停止を宣言した」とあった。これが原因で、ロシア債券市場で先物を買ってリスクヘッジしてたLTCMは、取引をおこなってリスクヘッジできなくなり、坂を転がり落ち始めた、というような記述があった。本ではあまり強調されていなかったが、これがきっかけになったと思った。そして本質的な原因は、僕が二冊を読んで得た理解によれば、「LTCMが流動性リスクを軽視したため」だと思う。
裁定機会は必ず収斂する方向の資産価格は調整されるから、裁定機会を発見し、収斂するまで持ちこたえるだけの十分の資金力と度胸と自信があれば、濡れ手に粟だ、というのが基本的な戦略だったようだ。そしてLTCMがすごいのは、「裁定機会を発見する」能力が極めて高かったことだ。この能力とは、現代ファイナンス理論をよく理解していること、と言い換えられるだろう。裁定機会はそんなに転がっていないから、簡単には見つからない。道端に1万円は落ちてない。落ちてたら、既に誰かが拾っているはず・・・でも、10円玉くらいなら落ちている。この10円玉を全部おれが拾ってやる!それがLTCMの態度だった。そして10円玉を見つけるのがブラック・ショールズ公式だった。そして10円玉を大量に吸い上げる掃除機がレバレッジだった。
しかし流動性リスクを無視した。つまり、いくら裁定機会をみつけて、そこで非合理な市場が合理性を取り戻すのを待ったとしても、市場がより非合理な方向に走ることもある、という可能性について無視した。このとき、LTCMに要求される資金力は増加する。もちこたえる資金力さえあれば、峠さえ超えれれば、大儲けだ。しかし資金が見つからない。投資家が逃げ出す。誰かが逃げ出すと、みんな後を追う。ただでさえレバレッジを25倍とかにしているのに、この数字がどんどん高まって、100倍くらいまでになった。ゲームオーバー。これがLTCM破綻の大筋だったようだ。
LTCMの中核メンバーは、このときそれぞれ個人資産数億ドル(数百億円)を吹っ飛ばしている。 しかし信じられないのは、1998年9月の破綻後も、25万ドルの年棒をもらい続けたことだ。日本円にして、約2500万円。なんか、おかしくない?
結局、彼らはポーカーゲームを楽しんだに過ぎないと思った。地球全体を巻き込んで。
コメント
[…] ■円安 93円台の後半。何が円売りの要因か。何度も書いているが、僕が思ういまの円ドルの適正水準は、90円台後半。したがって、これでもまだ、やや円高か、と思っている。が、仮に「適正水準が90円台後半」という僕の考えた正しかったとしても、多くのマーケット参加者がどう思うか、が現実レートを決定する。だから、僕がここで「適正レートは90円台後半」といったとしても、現実レートがそうなる、と予想しているわけではない。現実レートは、適正レートから乖離する方向に動くことだってあるわけで。(非合理なマーケットが、より非合理になるリスクを無視したのが、LTCM破綻の原因の一つだったと僕は理解している。) […]
[…] 経済学者の考え方が正しいとすれば,必死に世の中のいろいろな情報をつかってファンダメンタル分析なりテクニカル分析なりを行っている証券アナリストと呼ばれる金融機関のバックオフィスで働く頭脳を否定することになる.だから,これは金融実務家が経済学者を笑うときによく言われるジョークらしい. 現実に,そんな情報がそこらへんに落ちているのだろうか?この問題を巡って,経済学者たちは大量に論文を書いてきた.しかし結論は出ないまま,みんな飽きちゃった,という感じ.学者も人間なので,新しい面白い研究テーマが出てくると,古い研究テーマの結論は出さないまま,そちらへ飛びつくものだ. さて,僕の考えを書くと,「そんな情報はほとんどない.でも,たまに落ちている」という感じか.どれくらいの頻度でそんな情報は落ちているのだろう?きっと,金融実務家が思うよりははるかにレアで,学者が思うよりははるかにたくさん落ちている,というのが僕の考え方. カンタンな話だ.道端に1万円はまず間違いなく落ちていないが,1円玉,5円玉はよく落ちている.10円玉もよく見かける.50円玉はどうだろう?100円玉は?500円玉ともなると,落ちていることはほとんどない. 10円玉を拾うコスト(=株の場合,売買コスト)まで考えると,もうほっとんどそんなおいしい話は落ちていない,というのが現実だと思う. 10円玉を少し拾ったって小銭を稼ぐ程度だが,塵も積もれば山となる,ということで,大量に拾いまくって大儲けしたのがLTCMだったと僕は考えている.ここら辺のことは,過去のエントリーでも書いた. そんな情報は落ちていないのが現実,ということになる.そういう市場のことをよく,「市場はあらゆる情報を織り込み済み」とか言う.それならば,情報量が多ければ,株価変動も多いはずだ.そして休日を挟んだほうが溜まる情報は,平日よりも多いはずだから,休日明けのほうが,株価変動は大きいのではないだろか?また,休日を挟めば,その間に得られた情報は月曜日の朝まで,株価に反映されないから,月曜の朝の最初の数秒,市場にゆがみが訪れて,儲けることが出来るのではないだろうか?休日に得たある情報があって,その情報を使えば株で儲けられるのだが,市場は開いていないから,月曜の朝をみんなが待っている.獲物を静かに狙うサバンナの猛獣のようなたくさんの投資家たちが,日曜の夜に息を潜めているのが想像できる. 現実には,月曜の朝を狙ったとしても簡単には儲けられないだろう.同じことを考えている人がたくさんいるわけだから,あっという間に株価はその「ある情報」を織り込んでしまうだろう.結局,一人当たりの儲けはたいしたことはない,という状況になってしまうだろう.利ざやは常に有限で,こういう獲物を狙う猛獣の数はたくさんいるから,一人当たりの儲けは,どうがんばってもたいしたことなくなってしまう. さて,長々と書いたが,休日明けの株価変動は,平日に比べて,大きいのだろうか?休日が株価変動(ボラティリティ)に与える影響を研究した論文はけっこうある.あまり詳しくは知らないけど,本当にこういう研究をしたければ,ティックデータ(秒単位の株価データ)を使うべきなのだろう.日次データ「ごとき」でその特性をあらわにしてしまうほど,株式市場はヤワはないのでは,と思っている. 今年になってからの,日経平均の日次終値のグラフを描いておこう.休日のところで,折れ線グラフ途切れている. これを目視する限り,休日明けには株価変動が大きい,とかそんなことは言え無さそうじゃない?「日次データごときで俺の分析しようなんて甘いんだよ,学者先生!」という株式市場の声が聞こえそうだ. […]
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