たまには国際関係論とか外交とかの本を読んでみた。
うちらの経済学、金融工学、計量ファイナンスみたいな世界とは大分「研究する」という行為が、国際政治学みたいな分野とは異なるという印象を持った。うちらの世界では、理論構築と統計的検証の行ったり来たりで学問を発展させていく。国際政治学の世界では、統計的検証というよりは、「歴史的な経験から、これは真理だろう」みたいなことをそのまま理論にする。統計的に有意かどうかなんてことはあまり考えてないんじゃなかろうか。
しかし、統計的に数字を示してこれが真理なのである、といううちらの世界が偉いとか頭がいいとかは、一切思わない。考えてみると、例えば、世の中にはたくさんのことわざや格言がある。「急がば回れ」なんて格言を統計的に検証したことなんて誰もないだろうけど、ある程度の真理だと世の中のほとんどの人が受け入れている。大体、本当に統計的に検証してしまったら、「急がば回れ」という帰無仮説は棄却されてしまうでしょう(笑)。
別に統計的に数字をみて検定量とか推定量が1.96を超えたとかそんなこと考えなくても、歴史を見れば「ま、だいたいこんな法則が真理でしょ」というような態度をとっているようだ。
そういう、歴史を紐解いて「だいたいこんな法則が真理でしょ」みたいなところを探す作業が、国際政治学における研究という行為のようだ。これはこれで科学的な態度と呼べる気がする。
今まで実は、国際政治学みたいなものについて、「社会科学」という冠を与える資格はないと思っていた。科学とは、理論があって、それの現実的妥当性を検証する、この二つの要素があって初めて科学と呼べるのであって、検証する、という作業がなければ、それはただの理論を考え出した偉い学者さんの自己満足でしかない。
「検証する」という方法は、なにも統計的分析だけではないくても良いような気がしてきた。そうでなければ、「急がば回れ」が統計的に検証されていないにも関わらず、今日まで残っているはずがない。
ほかにも例えば、株式市場の格言の一つに、「卵は一つのカゴに盛るな」というものがある。これは、まさにマーコウィッツによって証明された(分散投資はアンシステマティック・リスクを除去してくれる)。
だから、必ずしも統計的有意性にこだわる必要はないのだろうが、実際に計量経済学者は、これにこだわっている(自分も含めて)。つまり、ディアドラおばさんの小言に耳を傾けるべし。
ちなみに、本書は、
の続編みたいなもののようだ。こっちは、大学に入る前の春休みとかに読んだんだけど、中身はほとんど忘れてしまった・・・。
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