真剣にやらないといかん.テーマは決まっていて,Equity Premium Puzzleを解こうとしているんだけど,もうPuzzleが解けそうなことは目に見えているので,楽しくやれそうです.Puzzleを解く戦略は基本的に二つあって,でもまだ他言したくないから,それらを仮にβ戦略とγ戦略とここでは呼んでおこう.βとγ上の複合戦略も可能だが,あんまり複雑になると作業が増えるので,ほどほどにしたい.
この研究ネタは,科学について深く考察する良い機会になるっぽいと感じている.
Equity Premium PuzzleはMehra and Prescott(1985)で報告されたPuzzleで,C-CAPMの欠点をさらけ出したものなんだけど,羽森茂之(1996)『消費者行動と日本の資産市場』によると,日本のデータを使うと,そんなPuzzleは存在しないことになっている.
それで思ったんだが,一般に,「異なる国,異なる時代,異なるfrequencyのデータを使って同じ実証分析をやって,結果が違った場合,それをどう解釈するべきか」,ということ.実証するときは,条件をいろいろと一定にしないといけないと思うんだけど,現実に経済学で実証分析のの論文を読んでいると,そんな配慮はゼロ.サンプルサイズを同じにする,という程度の工夫もない.
アメリカ人が観測しようが,日本人が観測しようが,天体の動きは変わらない.でも,経済の場合,日米で国民性の違いとか制度の違いがあって,データ発生機構が同じではないはず.さらに時代が変わることでも,やはりデータ発生機構は変化するに違いない.たとえば,昭和の大学生の消費選好と,平成の大学生の消費選考が同じなはずない,とか.え,まさか?同じだって本当に信じてるの?うそでしょ?
計量分析で,一つのサンプルをボンって持ってきて,それに対して仮説検定に基づき白黒つけるやり方の背後には,「そのサンプル期間で,経済の構造(データ発生機構)が変化していない」という暗黙の了解がある.しかし,経済学者は,どれだけ本気でこれを信じてるんだろう.
さらに言うと,経済の構造が不変と信じているからこそ,その唯一つのデータ発生機構からもし無限にデータが取れたとすれば,真理(分布を規定するパラメータの真の値)に近づけるんだ,だから一致性が大事だ,という議論になっているはず.
時代とともに経済のファンダメンタルは変わるし,国ごとにも変わる,ということを受け入れてしまえば,「アメリカではEquity Premium Puzzleがあるが,日本ではない」とか「1970年のデータではこうだったが,最新のデータで追試したら違った」というような状況をよく理解できる.
天文学者が「天体現象に関する,時代や場所には依らない,普遍の法則があるはずだ」という信念を持つのと同様に,「経済現象に関する,時代や場所には依らない,普遍の法則があるはずだ」という信念を,本当に経済学者は持てるのだろうか?そんな信念,ハナからおかしい気がしている.
だから,ある経済理論Aがあって,その反対の理論Bがあったときに,「データを分析したら,この国の,この時代は理論Aが正しくって,別の国で,この時代だと理論Bが支持された」という結論を出しても良いと思う.そういう視点がないから「いろいろ計量的に分析してみたんだけど,理論Aと理論Bのどっちが妥当するか,よくわからないから両論併記で」みたいな,一体なんのための論文書いたんだよ,というような論文が世の中にたくさん出てくる.
言いたいことは,経済学者はみんな,クープマンスの「理論なき計測はダメよ」って言葉に縛られすぎ,ってこと.
あれ,なんの話してたんだっけ.そうだ修士論文だ.ここ数日でC-CAPMをさらっと勉強したから,次はGMMをやるか.ちょーどこの本で,GMMのところ輪読あたってるし.一石二鳥.
というわけで,Puzzleが解けたことを強調するためには,データはMehra and Prescottと同じものを使わないといけないな,と.
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