最近KOBOで炎上マーケティングを敢行している三木谷さんの本を初めて読んでみたのですが、素晴らしい本。
素直な印象としては、「起業家として超素晴らしい結果を出してきている人だけれど、割りと普通の人っぽく、努力の人」、という感じ。書いてあることは、どれも当たり前のことばかりで、「突拍子もない天才」という感じはしない。
なんか、頑張れば自分もこれくらいいけるんじゃないか、とかついつい感じてしまう。
ゼロから会社を起こした過程で、一度くらい資金繰りに行き詰まったり倒産の危機を経験したりとかあったのかなと思ったけれど、そういうことはなかったらしい。もっとそういう、「あのときは潰れかけて大変だった」みたいな話を読めることを期待していたのに。
いろいろと素晴らしい言葉があったので、思いつく限り、メモ。
人間が創り出すモノはどんなものであれ改善の余地が必ずあるからだ。(p20)そして何かを改善すれば、必ず次の改善ポイントが見えてくるはずだ。さらに改善すれば、また次の改善ポイントを見つけることができる……。これを延々と繰り返してきたのが、僕たちの未来に対するアプローチだ。そしてそのアプローチは今も変わっていない。僕はこれを改善モデルと呼んでいる。改善することが前提なのだ。(p24)スポーツは弱肉強食の世界だから、トップアスリートともなれば(これはあくまで僕の独断だが)潜在能力の80%くらいは開発されているのだろうし、引き出した能力の70%くらいの実力をコンスタントに発揮しているに違いない。ところがビジネスの世界では、そこまで使っている人は極めて少ない。潜在能力の10%程度しか使っていない人がほとんどだろう。そもそも潜在能力を引き出そうなど、考えたこともない人の方が多いのではないだろうか。ビジネス戦士などと言っても、しょせんはその程度というのが僕の実感だ。けれどこれは、あらゆるビジネスマンにとってのチャンスでもある。潜在能力でどれだけの差があったとしても、勝てるチャンスがあるということだかヽり。しかもスポーツ選手のように、昨日の自分に勝つために血を吐くような努力をして潜在能力の壁に挑戦する必要すらない。潜在能力を10%しか使っていない人が、たとえばさらに10%潜在能力を引き出すのはそれほど難しいことではないだろう。少なくとも計算上では、たったの10%で能力は2倍になるのだ。にもかかわらず、誰もそれをしようとしていない。もったいないなと思う。社員の一人一人が、あと10%自分の潜在能力を引き出したらいったいどういう企業になるか。僕は考えただけでワクワクする(p34-35)僕はこの時間をもっと有意義に使いたいと考えた。会議の大半は要するに説明の時間なのだ。これを短縮すればいい、と考えたのだ。そこで楽天では会議の資料を、前日の夕方5時までにすべて提出することにした。実際の会議では、前の晩に資料を読んでいるから説明の時間は必要ない(p48)不条理に対して怒る人が増えれば、もっと早く世の中は変わると思うのだが。(p53)たとえ毎日1%の改善でも、1年続ければ37倍になる。1・01の365乗は37・78になるからだ。これは、1人の人間の話だけれど、組織として考えればもっと大きなことが起きる。理論的には2000人の社員がいれば、1日で1・01の2000乗の改善ができるということだから。lo01の2000乗を計算すると、答えは4億3928万6205となる。このように、乗数には驚くべきパワーがあるのだ。(p53)英語ではそういう姿勢を「Best effort basis」と表現する。現状に満足し、ここまでやったんだからいいじゃないか、と自分自身に言い訳する人の姿勢だ。僕はそういう姿勢を否定する。それでは、本当の意味での勝者にはなれないし、本当の意味で仕事を楽しむことはできないと思っているからだ。「
Best effort basis 」では永遠に月に到達できないのだ。これとはまったく違うモノの考え方をする人がいる。その姿勢を「Get things done」と表現する。ありとあらゆる手段を使って、何が何でも物事を達成する人間の姿勢だ。「 Best effort basis 」と
「Get things done」 。たとえどちらも毎日同じように努力したとしても、この2つの姿勢には天と地の開きがある。(p56-57)成功の喜びは、仕事の大きなモチベーションになる。成功の喜びを知って初めて、人は仕事に人生をかけられるようになるのだ。(p59)ケネディの偉大さは、月という絶妙の目標を掲げたところにある。月は確かに遠かった。けれど地球から38万キロメートルの彼方に浮かぶその天体は、絶対に攻略不可能な目標というわけでもなかった。僕たちにとっての月は何なのか。僕はいつもそのことを考えている。(p60)楽天市場がさらに発展することは、僕たちだけでなく出店者みなさんのためでもある、と。身勝手な言い分とは思っていない。僕は心からそう信じていた。(p62-63)僕の定義するプロフェッショナルは、 一般的な意味と微妙な違いがある。アマチュアの中にもプロフェッショナルはいるし、プロの中にもプロフェッショナルでない人はいくらでもいる●それでお金を稼いでいるかどうかよりも、それにどれだけ自分の心血を注ぎ込んでいるかでプロフェッショナルかどうかが決まると僕は思っている。すべてのビジネスマンはプロフエツシヨナルを目指すべきだ。それはビジネスで成功するための秘密であり、そしてまた仕事を楽しみに変えるための秘訣でもある。(p66)けれど人間は1000年どころか、今日と明日で狩りの方法がまったく違うことだってあり得る。たとえ、同じ場所で、同じ獲物を狩るとしても。それは人間の脳が、工夫をすることに喜びを感じるからだ。あの高い樹の上に鳥の巣があって、そこに美味しい卵がある、としよう。ところがどうしてもそこまで登ることができない。同じ卵を見つけた蛇も、何回かは挑戦するかもしれない。けれど、翌日もまた挑戦しようとするのは人間くらいのものだろう。登れるところまで登ってみよう。そこから棒きれを伸ばせばどうか。あるいは木の枝を揺すって下に落とすのはどうか。落下した卵を保護するために、樹の下には柔らかい草をたくさん敷いておくべきか……。様々な試行錯誤を繰り返し、その卵を手に入れた時、人間は卵の美味しさだけでは説明のつかない大きな喜びを感じる。それを人間は笑いや歓声で表現してきたのだろう。それが、人間と他の動物の最大の違いだ。その巣に達するまでにどんな苦労があったとしても、蛇はただ卵を飲み込むだけだ。(p68-69)僕は自分の欠点も限界もよく知っている。僕は、日標さえあれば他のすべてを投げ捨ててでも突き進むことができる。窮地に陥れば陥るほど、俄然やる気が湧いてくる。けれど、これが最大の欠点なのだが、仕事が軌道に乗ってしまったらすぐに興味を失いかねない。義務感だけでは仕事に集中できない。きわめて飽きっぱい。そういう意味では、かなりの無責任と言えるだろう。平和な時には役に立たない、乱世でしか力を発揮しないタイプなのだ。(p72)「銀行とか商社とか大企業が日本を変えたり、社会を作っていくという時代はもう終わつたよ。これからはむしろ個人や中小企業が、既成事実を積み重ねて新しい社会を作り、日本を変えていくんだ」僕のその一言で、本城は就職活動を終わりにした。どんな仕事でもするから、僕の会社で働かせてくれと言いだしたのだ。(p83)将棋やスポーツの世界では、この右脳と左脳とのキャッチボールは極めて短い時間で行う必要がある。バッターはピッチャーがボールを投げてからO o何秒という極めて短い時間でそれを行わなければならない。将棋にしても、せいぜい1分とか2分の猶予しか許されないわけだ。ビジネスの世界においてもスピードはきわめて重要だ。それにしても、スポーツ選手に比べればはるかに長い時間を右脳と左脳のキャッチボールに使うことができる。(p113)世界を旅することは、文化や習慣の違いを飛び越える空間移動であると同時に、時間軸を過去に遡ったりあるいは未来ヘジャンプしたりする時間移動という側面もある。たとえば、急速な経済発展をする中国の現在と、一局度経済成長期の日本の姿は似ていると言われることも、それに当てはまるだろう。国の面積も人口もまったく違う。だからもちろん完璧に同じなわけはないけれど、ある側面を見れば確かに似ている部分もある。ということは、これから何が起きるかをある程度は推測できる。その推測は中国におけるビジネスのフレームワークとして使えるかもしれない。あるいは外国でなくても、高齢化の進んだ日本の山村を訪ねれば、将来の日本に必要となるビジネスのヒントが見つかるかもしれない。現在の山村における高齢者のコミュニティが、将来の日本を予想するフレームワークとして応用できる可能性もあるだろう。アービトラージというデリバティブ用語がある。裁定取引という日本語にすると意味が分かりにくくなってしまうが、要するに同一のモノの地域による価格差を利用して確実な利益を得ることを意味する言葉だ。僕がここで語ってきたことは、広い意味でビジネスのアービトラージと言い換えてもいいかもしれない。ただしビジネスの場合は、Aという市場でCを買い、Bという市場でCを売るというような単純な戦略は通用しない。
それはあくまでもヒントであって、右脳と左脳のキャッチボールを経た後にようやく実行に値するひとつの仮説になるのだ(p120-121)最終的な着地点は変わってもいいが、やはり最終着地点をある程度イメージしながら小さな実験をするという姿勢を持っていた方がいい(p125)つまりある意味において楽天技術研究所は、楽天全体の″仮説←実行←検証″機能を加速化するための″仕組み″でもある。今まではそれぞれの現場で仮説を立て、新しいビジネスを創造してきたわけだ。これからはそれに加えて、より遠い未来まで視野に入れた専門家や研究者たちの仮説も、楽天のビジネスを通じて検証していくことになるはずだ。大学や研究機関と協力してその研究成果を、具体的なサービスにつなげることも技術研究所の仕事のひとつなのだ。アカデミックな領域での最先端の研究を、ビジネスに応用するまでのタイムラグをできる限り短くするにはこの方法がいちばんだと思う(p131-132)現在では、全国の様々な商店街が、大きな駐車場を確保したリイベントを開催したりと、賑わいを取り戻すための努力をしている。その時にポイントになるのが魚屋さんなのだそうだ。新鮮な魚を扱う魚屋さんは、大型店舗に対抗する切り札になる存在だ。魚はスーパーの鮮魚コーナーではなく、信頼できる魚屋さんで買いたいという人がやっぱり多いからである。魚屋さんが元気になれば人の流れができるから、商店街そのものが賑わうというわただし鮮魚を扱うだけに、毎日ある程度のお客さんが来なければ魚屋さんの商売は成り立たない。だから商店街が寂れると、真っ先に影響を受けるのも魚屋さんだ。売れなければロスになってしまうから、仕入れを控えざるを得ない。品数が減って魅力がなくなれば、お客さんはさらに減るという、悪循環に陥ってしまう。魚屋さんが元気になれば商店街が賑やかになる、けれど商店街が賑やかにならなければ魚屋さんは元気にならない。これは大きなジレンマだ。そして考えてみれば、このジレンマは全国の商店街全体が抱えるジレンマでもある。人の流れを取り戻すには商店街が元気にならなきゃいけない。けれど商店街が元気になるには人の流れを取り戻さなきゃいけない……。堂々巡りの突破口が、インターネットのショッピングモールだ。何度も書いているようにインターネット空間に店をオープンするということは、人通りの多い商店街に店を開くということだからだ。広い駐車場がなくても、インターネットを使えば何千人、何万人のお客さんを相手に商売をすることができるのだ。(p148-149)現代では、買い物は経験であリエンターテインメントなのだ。そしてその傾向は、これからますます強くなると僕は思う。そうであるならば、時代に対応したビジネスとは、多様化を目指すべきだ。多様化とは消費者の選択の幅を広げていくことだ。多様化した消費の対極にあるのが単一的消費。単一的消費とはみんなと同じ経験をしたいという人間のひとつの欲求を満たすものだ。しかし、それがいつまでも続くものではないことを歴史は証明している。かつてテレビが社会に普及し始めた頃は、日本中の人が夢中になって力道山のプロンス中継を見ていた。紅自歌合戦や大河ドラマが驚異的な視聴率を記録した時代もあった。人が画一化を望み続けたなら、その状況はずっと変わらなかったはずだ。けれど今やそんな視聴率は、遠い音の記憶でしかない。ビデオ、DVD、ケーブルテレビ、そしてインターネットの出現で、視聴者の選択の幅が広がってしまったからだ。高きから低きへ水が流れるように、選択の幅が広がれば人の流れも多様化する。多様化が進むということは、社会が豊かになるということでもある。郊外のショッピングセンターに人が集中し、世界共通のブランドショツプが隆盛を極めるという現象も永遠に続くわけではない。巨視的に見ればそれも一種の″単一的消費″なのだ。振り子が右から左へ揺れるように、個人商店の時代が近い将来には確実にやってくるはずだ。一異原宿系のショップの売り上げが増加し続けていることからすれば、それは未来というより現在進行形の現象と言うべきかもしれない。誰でも何でも買える時代だからこそ、人は自分だけしか買えないものを欲しがり始めたの(p154)
以上。本当に素晴らしい本でした。
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