1年半くらい前,大学院に入ったときにもらった履修要綱にこんなことが書いてあった.
幅広い視野に支えられた高度な専門知識と研究能力の育成を目指している.これは言うに易くして行うに難い課題である.「幅広い視野」は「浅薄な雑学」になりやすく,また「高度な専門知識と研究能力」は「専門馬鹿」のしるしと見られがちである.
いいこと書いてあるじゃんってそのとき思ってたんだが,今になってこの言葉が身にしみる.別に経済学に限ったことではなく,どの分野でも言えることだと思う.
あるとき,ある先生が別の先生のことを「マリアナ海溝」と例えていた.一箇所を深く掘り下げまくっていて,その分野の専門知識の深さを敬う言葉であると同時に,ほかの分野に詳しくないという意味で,これは「専門馬鹿」ということでもある.ちなみにその先生は自分のことは,「大陸棚」と笑いながら言っていた.浅く広く,ということですね.
で,深さと広さのどちらを重視すべきか,この間のトレードオフは個人の好み・ウェイティングによって異なるだろう,と思っていたんだが,今日またある人と話をしていたら「体積を最大化するべきだろう」と言っていた.
なるほど,これは一つの基準だな,と思った.体積=広さ×深さ,なわけで.それならば,きっと立方体みたいになるのが最適化の解ですね,といったら,いいや,球体が理想だ,ってその人に返された.
これは一つの真理を言い当てている気がした.
抽象的な話で分かりにくいんだけど,球体や円というものは,なんとなく不思議な魅力があるわけで.その人の話によれば,「表面積を一定にしたとき,体積が最大化される立体は球体だから」とさ.僕は,(たて+横+深さ)を一定にしたときの体積最大化問題の解として立方体といったわけだけど,表面積一定で考えるあたり,どうも普通の発想ではない.
普通の発想ではないが,その答えが,なんか理想的な香りがした.
学問に限らず,自分の持っている知識や経験などを見ると,やっぱりけっこう偏っている.僕がある程度興味があって知っている分野を書いていくと,経済学,統計学,金融,政治,数学,IT,ビジネス,哲学など.他方,(興味がないわけじゃないと信じたいけど)あまり知らない分野を書いていくと,法学,文学,医学,ジャーナリズム,工学,物理,化学,心理学など.
自分の知識の形は,球体にはほど遠く,いびつな形をしているな~って感じた.言いたいことは,「なんとか一生かけて,自分の知識の形状を球体に近づけたい」と.
コメント
ふむふむ,教育機関にとっては知識の深さや広さを目的としてもいいかな.でも,個々の学者にとっては知識自体は深さも広さも目的じゃないです.個人的には異分野の知識を求めること自体に強い興味はあるけど,それは仕事とはべつ.
生産性が上がりそうなのは,深海の資源を掘り当てる感じかも.深く掘らないと出てこないし,みんなと同じところを掘っても枯れていたり.その基準からいえば,みんなと近いまだ残ってそうなところと,ぜんぜんちがうところ,それらを適当にミックスするのがよさそうな感じがします.
でも,学問は深海を掘るのとはちがい,ひとつ深いのを掘っておけば,ほかの穴を掘るときに正の外部性があっったりする.意外と浅くにいいモノがころがっていたり.そう考えると,「幅広い視野」というのも当てはまるかも.まあ,あくまでも比喩です.笑.
まだ読んでないけど,ボクの本棚に『素人のように考え,玄人として実行する』ってのがあるのを思い出しました.
平凡助教授さん,
コメントありがとうございます.そうですね,教育者としての学者は,ゼミや講義などを通して学生の知識体積の最大化を助けることを目的とする,としても良いと思います.
研究者としての学者の仕事は,新しい知識を発見することですけど,この目的達成のために,結局バランスをとるのが一番よいんじゃないかな,と僕は思います・・・が,「マリアナ海溝」にたとえられた先生は,けっこう業績を出していて尊敬されている先生なので,まぁ,結局ひとそれぞれですね.
学者じゃなくって,一般人だったら,知識体積最大化を考えると気持ちの良い人生が送れると思います.