プレゼン

今度のファイナンス学会での研究報告をどうやってやろうかな,と思ってプレゼンについてふと考えをめぐらせていた.ら,アップルのスティーブ・ジョブズが2001年にiPodをお披露目したときのプレゼン動画をyoutubeで発見.

おぉ.印象としては.(1)必要十分なことを10分以内に言い切っている(2)本人も「これをみんなに伝えたい」とわくわくしている感じが伝わる.
そうか.じゃぁ今度の学会報告では,
(1)Get to the point ASAP(As Soon As Possible)
(2)Always smile and Enjoy
を心がけよう.PPTスキルなんかあって当たり前.

論文の書き方,研究報告のやり方

John Cochraneの”Writing Tips for Ph. D. Students”
Chicago大学のCochraneが論文の書き方についての覚書を書いている.
効率主義を徹底しなさい,がメッセージ.”Efficiency if Everthing!”という感じ.
どんな内容かというと,たとえば僕がいまここで「Cochraneの言いたいことは,もっと効率的に!もっと能率的に!ということだ」と書いたとしよう.すると,『「もっと効率的に!もっと能率的に!」のような文章では,「効率」と「能率」は同じ意味だから紙面の節約をするために,どちらか一方を削りなさい』という指摘が盛りだくさんな感じの内容.もっと人生のんびり楽めばいいのに.
でも参考になることもたくさん書いてあった.しかも文章にユーモアがあって達筆だから,全部読んじゃった.
Seminar presentationsで,

You don’t need any literature review or motivation in a seminar. Just get to the point. Gene Fama usually starts his seminars with “Look at table 1.” That’s a good model to emulate.

とあるが,これは是非まねしよう.みんなに見せたいのは結局たった一つのグラフだけだったりするから.あとはそのグラフをどうやって作ったか,分析の頑健性の説明は後まわしにすれば,時間切れで結論を言う時間が足りなくなるということにもならないだろう.

Google Trendsすごい

Google Trendsというサービス.あるキーワードの,これまでの検索ヒット数を時系列でグラフを描いてくれるサービス.
ためしに「堀江貴文」で検索してみた
検索結果のグラフに,少しコメントを加えたものがこれ.
horie_search.bmp
如実に世間の関心の推移が分かる.
ちなみに,複数キーワードを比較することも出来る.例えば,「堀江貴文,社長日記」と検索すると,こうなる.「社長日記」は堀江貴文氏が逮捕される前にやっていたblogの名前.「堀江貴文」と比べて,高い相関が見て取れる.
Google Trendsを使って,カンタンな分析が出来そうだ.Google,すごいね.

博士は若造には与えず?

博士号の授与率が,文系は低すぎる,という記事.

対象となった学生1万8516人のうち取得者は7912人で、平均取得率は42.7%。分野別では、最も高かったのが医学・歯学などを含む保健の56.3%で、農学53.3%、工学52.8%、理学46.3%が続いた。

これに対し、人文科学が7.1%、社会科学は15.2%と文系の両分野がワースト1、2位を占め、理系の3分の1以下の水準だった。

文系の博士号、難しすぎ? 理系の3分の1以下@asahi.com
この現状は,どうなんでしょう.良いのでしょうか,悪いのでしょうか.経済学の場合,「国内は博士号くれないんで,アメリカでPhDとってくるわ」で片付くが,他の分野,たとえば日本文学(あるいは経済学といっても,たとえば日本経済史を専攻していれば),そうはいかないので,これはなかなか不幸だ.

文科省は05年9月の中央教育審議会(文科相の諮問機関)の答申を受け、大学院教育について学問研究とともに人材育成面にも力点を置く方針を打ち出し、その一環で修業年限内の学位授与を促している。同省の担当者は、文系の現状について「ちょっと低すぎる」とし、「どの程度の授与率が適当か、各大学院で考えてほしい」と話している。

文系の博士号、難しすぎ? 理系の3分の1以下@asahi.com
博士号授与率が低くて何が悪い,というのが国内大学の言い分だと思う.文系の場合,「博士号は20代の若造にあたえるものではなくって,年配の大家に与えさせていただくものなんだ」という考え方が強い.そういう伝統なんだから,しょうがない.
いままではあまり問題はなかったはずなのに,なぜ今さら「文系で授与率が低い」ことが問題になっているのだろう?言い換えると,なぜ最近では博士号を若い段階で取得しておかないとまずい時代になったのだろう?
参考リンク
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05090501.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05061401/all.pdf
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/03/06032316/002.pdf

『不完全性定理―数学的体系のあゆみ』の読書感想


非常に勉強になったし,知的に楽しかった.僕は数学者ではないので,理解できないところもあったし,誤った理解をしている部分もあるかもしれないが,本書を通じ,ここまでの人類の知的な営みが到達した偉大な業績に触れることが出来たと感じた.
目次はこんな感じ.

第1章 ギリシャの奇跡 
第2章 体系とその進化
第3章 集合論の光と陰
第4章 証明の形式化
第5章 超数学の誕生
第6章 ゲーデル登場

第1,2,3章は数学の歴史.第4,5,6章は超数学の平易な解説.特に美味なのは第6章で,ゲーデルが証明してしまった「不完全性定理」についての解説が為される.
カンタンにあらすじを書く.
第1章では,「仮定を置く」という行為を行った古代ギリシャ人の偉大さについて触れる.「点の面積は0」というのは,仮定であって証明できることではない.事実かどうかは分からないが,「そうだと仮定すればいろいろ都合よくその後の議論が出来る」ということで,「正しい根拠はないが,そうだと仮定してしまえ」とやった.「なぜ?」という疑問に答えることを棚上げしてしまったと言ってもよい.続いて,仮定から導かれる定理を厳密に証明する作業を行ったユークリッドの『原論』の偉大さについて触れ,公理系の大切さに触れる.
第2章.ユークリッドの公理系の穴を埋めようと努力した偉い人たちのお話.こういう努力が公理系を進化させた.
第3章.カントルの集合論の登場.[pp.110]より引用すると,彼の登場によって,

無限にも程度があって,小さい無限,大きな無限,もっと大きな無限,等等が存在することなどが分かった.

現代人は数学の授業などで割りと当然にようにこれを習うが,当時にしてみればセンセーショナルだったらしい.当然か.当時の数学界の大ボス,クロネッカーはカントルの集合論を攻撃したらしいが,次世代のスーパースター,ヒルベルトに評価され,受け継がれたらしい.
第4章.集合論の登場によって,数学には危険があるのでは?という議論が活発になり(例えばカントルのパラドックス,ラッセルのパラドックスなどが引き金となった),数学のさらに厳密な基礎付けをやろうという動きが出てくる.そんな動きの中,証明の形式化が進んだようだ.証明の形式化とは,「意味」と「数学」を切断する,というイメージに僕は感じた(追放ではなく,切断!).大雑把に言えば,証明をコンピュータにも出来るようにすること.コンピュータにも出来るということは,一切の主観が排除された,信頼できる結果だろう,ということだと思う.
第5章.超数学の登場.超数学とは,「数学の数学」という感じ.数理哲学とは別物らしい(ここら辺から,何を言っているのか難しくなってくる).要は,「数学って論理的で厳密で客観的だと信じられてきたけど,それ,本当?」ということを,数学を使って証明しよう,ということらしい.そして,「おう,数学って安全だぜ」ということを言いたい.それがゴールだと思われていた.
第6章.ところが,ゲーデルが,「数学って安全ではないかもしれない」ということを数学的に証明してしまった.それが有名なゲーデルの不完全性定理で,次のようなもの([pp.246]より引用).

自然数論を含む述語論理の体系Zは,もし無矛盾ならば,形式的に不完全である.

「形式的に不完全」とはどういうことかを説明する.ある数学の文章Pがあったとしよう.Pは,例えば「2は偶数である」とか,「3の2乗は9である」とか,なんでも良い.このPは真が偽かのどちらかで,通常,真偽は判定できる.どんなPを持ってきても,真偽を判定できる体系を,「形式的に完全」と言う.すなわち,「形式的に不完全」とは,「真か偽か判定できない文章が紛れ込んでいる」体系ということである.
これでは困る.自然数論において扱う自然数の性質について述べた文章Pがあったとき,それが真か偽かを判定できないとうことは,この体系は,自然数の性質について完全に捉えることができていない.だから,この定理を「ゲーデルの不完全性定理」と呼ぶ.
「ゲーデルの不完全性定理によって,人間の知性のある一つの限界が,人間の知性によって証明されてしまったのだ!」という驚くべき結果に向かって,古代ギリシャから脈々と受け継がれてきた人類の英知の挑戦,ロマン,ドラマ,数学の歴史が紐解かれている本書は,本当に知的に興奮した.
本書は,小飼弾さんのブログ,404 Blog Not Found経由で知った.小飼弾さんは,このblogなどを見るにやたらインテリという印象を持つが,その小飼弾さんが

もしかして、今まで読んだ数学書の中で最高傑作かも知れない。

と言うだけあった.

“The Great Unravelling”の読書感想

英語が難しくって、読むのにちょうど一ヶ月くらいかかった。著者は超有名なポール・クルーグマン(Paul R. Krugman)教授。いちおう、Wikiで調べてみた。

ポール・クルーグマン(Paul R. Krugman)

ノーベル経済学賞が確実といわれている経済学者

と明記されている。

この本の主張は「ブッシュ政権はまじでクソ」の一言に尽きる。ブッシュ政権がやることなすこと全ての政策にダメ出しをし続けている。読んでみた感想は、まずクルーグマン教授は頭の回転が速く、頭がいい、ということ。そして、自分に自信を持っている。感情的に「ブッシュ嫌い」と言っているのではなく、自信を持って自分の高スペックな脳味噌を回転させて、明快な論理に基づいて建設的な批判をしている。この人と議論をしたら、絶対に負かされると思った。

いくつか面白かった点をメモ。

・マンデルを批判

p.395より引用。

It is the young Mundell, whose theories still dominate the textbooks, who earned the prize

1999年のノーベル経済学賞受賞者のマンデルにもダメ出ししてます。強烈です。

・イギリスのご飯がまずい理由をユニークに説明
p.391 “SUPPLY, DEMAND AND ENGLISH FOOD” で、なんでイギリスのご飯がまずいか、ということをおもしろおかしく書いている。

p.393より引用。

Well, the whole point of a market system is supposed to be that it serves consumers, providing us with what we want and thereby maximizing our collective welfare. But the history of English food suggests that even on so basic a matter as eating, a free-market economy can get trapped for an extended period in a bad equilibrium in which good things are not demanded because they have never been supplied, and are not supplied because not enough people demand them.

クルーグマンの理屈としては、こんな感じ。昔、イギリスではまずい飯を食わざるを得ない時代があった。その後、うまい飯が食える時代になっても、そのことを知らず、イギリスの人たちはうまい飯を自分たちが食えないと思い込んでいたため、うまい飯を欲しがりすらしなかった。需要がないのでうまい飯は供給されなかった。

つまり、需要がないから供給されず、供給されないから需要がない、という悪循環に入ってしまった、と。文脈としては、「市場がいつも万能とは限らない」ということを言うために出した例。

もともとTOEICを受ける前に英語に慣れとこうと思って読み始めたんだけど、読むのに一ヶ月もかかってしまった。もっともっと英語を磨こう。

『ウルトラ・ダラー』の読書感想

折りしも、北朝鮮が核実験を行ったらしい、というニュースが駆け巡った今日。

この『ウルトラ・ダラー』の著者は、元NHKワシントン支局長の手嶋龍一さん。「これがフィクションだと言っているのは著者だけだ」なんてことが帯に書いてあった。

で、僕が読んでみた感想は、「真実だったとしても全然おかしくないような妄想が書かれているという点で、とても面白かった」である。

話の筋としては、北朝鮮は精巧な偽ドルを作るために、高度な印刷技術を持った日本人技術者を拉致。そして、本物と見分けがつかないほどの偽ドル札を作って、その資金で核兵器を購入した、という流れ。

で、その過程で敵側に情報が流れている点に気づき、日本政府内に裏切り者がいる、という話に持っていく。Amazonの商品説明に、

出版社 / 著者からの内容紹介

背信者は、霞が関に実在している!? 前NHKワシントン支局長の著者が、偽ドルと「知られざる拉致」の闇を描ききる。発売前から各紙誌騒然のスパイ巨編。

と書かれているが、本を読んでみて、むかしテレビによく出ていたあの人がモデルかな、と思った。

でもこの本の面白いところは、いちばん最後。ネタバレになるので詳しくは書かない。けど、この手の本なので、「はっきりしたことは分からない、解釈は読者に任せます」といった感じのエンディングになっているんだが、黒幕はもっと深い闇に包まれている、という感じ。

僕は、エンディングが示唆するconspiracy theoryを読んで、「結局日本外交の頭の痛いところってそこだよな」と思った。

北が核実験したなんてニュースを見て、外交とか国際関係論とかに無関心ではいられないよな、とか思った。ま、僕が考えてみたところで何も変わらないんだけどね。

『引き裂かれる世界』の読書感想文

たまには国際関係論とか外交とかの本を読んでみた。

うちらの経済学、金融工学、計量ファイナンスみたいな世界とは大分「研究する」という行為が、国際政治学みたいな分野とは異なるという印象を持った。うちらの世界では、理論構築と統計的検証の行ったり来たりで学問を発展させていく。国際政治学の世界では、統計的検証というよりは、「歴史的な経験から、これは真理だろう」みたいなことをそのまま理論にする。統計的に有意かどうかなんてことはあまり考えてないんじゃなかろうか。

しかし、統計的に数字を示してこれが真理なのである、といううちらの世界が偉いとか頭がいいとかは、一切思わない。考えてみると、例えば、世の中にはたくさんのことわざや格言がある。「急がば回れ」なんて格言を統計的に検証したことなんて誰もないだろうけど、ある程度の真理だと世の中のほとんどの人が受け入れている。大体、本当に統計的に検証してしまったら、「急がば回れ」という帰無仮説は棄却されてしまうでしょう(笑)。

別に統計的に数字をみて検定量とか推定量が1.96を超えたとかそんなこと考えなくても、歴史を見れば「ま、だいたいこんな法則が真理でしょ」というような態度をとっているようだ。

そういう、歴史を紐解いて「だいたいこんな法則が真理でしょ」みたいなところを探す作業が、国際政治学における研究という行為のようだ。これはこれで科学的な態度と呼べる気がする。

今まで実は、国際政治学みたいなものについて、「社会科学」という冠を与える資格はないと思っていた。科学とは、理論があって、それの現実的妥当性を検証する、この二つの要素があって初めて科学と呼べるのであって、検証する、という作業がなければ、それはただの理論を考え出した偉い学者さんの自己満足でしかない。

「検証する」という方法は、なにも統計的分析だけではないくても良いような気がしてきた。そうでなければ、「急がば回れ」が統計的に検証されていないにも関わらず、今日まで残っているはずがない。

ほかにも例えば、株式市場の格言の一つに、「卵は一つのカゴに盛るな」というものがある。これは、まさにマーコウィッツによって証明された(分散投資はアンシステマティック・リスクを除去してくれる)。

だから、必ずしも統計的有意性にこだわる必要はないのだろうが、実際に計量経済学者は、これにこだわっている(自分も含めて)。つまり、ディアドラおばさんの小言に耳を傾けるべし

ちなみに、本書は、

の続編みたいなもののようだ。こっちは、大学に入る前の春休みとかに読んだんだけど、中身はほとんど忘れてしまった・・・。