『天才』の読書感想

田中角栄の自伝。といっても、石原慎太郎が、田中角栄になりすまして、田中角栄の一人称の視点で、田中角栄の人生について振り返った本。田中角栄に関する文献・証言・自ら知っていることをもとに書いた本。

経世会全盛期の話をリアルに読めた気がして、勉強になった。僕の年齢だと、経世会が絶大な権勢を誇っていたなんて、相当年配の人から聞くだけで、信じられない。栄枯盛衰がすごい。田中派、竹下派、小渕派、橋本派、額賀派ときて、また竹下亘派になったようだけれど、僕が二十歳くらいのときからは、清和会と宏池会が強いという印象しかないので。

角福戦争についても、田中角栄視点で書かれた本書を読んで、いろいろと勉強になった。だいたい、佐藤栄作の後継者として角福しかしらなかったけれど、

その年の正月の記者会見で佐藤は問われて、自分の後継者は三人いるだろうと暗示的なことを口にしていた。余人から見れば俺と福田と前尾繁三郎ということだったろう。

ということで、もうひとり、前尾繁三郎という人がいたらしい。宮津中学、東大法学部、大蔵官僚という経歴の人らしい。佐藤栄作も山口中学、東大法学部、鉄道官僚。福田赳夫も高崎中学、東大法学部、大蔵官僚。

田中角栄VS福田赳夫といえば、叩き上げVSエリート、という対立構図の典型例、くらいにしか思っていなかったけれど、前任の佐藤栄作も含めて、田中角栄の周りはエリートだらけだったんですね。

そんな田中角栄の処世術、物事の進め方、人との付き合い方、お金との付き合い方について、本書では随所に散りばめられていて、目を奪われた。

 

何事にも事前のしかけというか根回しのようなものが必要ということ

 

そんなことで仲間内ではいい人間関係が出来てもいった。つまり人の世の中での 賄賂 なるものの効用の原理を悟らされたということだ。それはその後の俺の人生の歩みの中で、かなりの効用をもたらしてくれた

 

資源らしい資源をほとんど持たぬこの国は、軍事力を備えすぎたために経済封鎖に遭い、あの無茶な戦争を起こさざるを得なかった

 

それに選挙の後、佐藤は前尾との改造人事の約束を破り、前尾は利用されただけで終わって、派閥の中での信用は失墜し、領袖の座を大平正芳に譲らざるを得なくなったのだった。

 

今思えば、あの期間の時の流れというのは将棋の名人戦の長丁場のようなものだった。相手の長考の間、俺は小さな歩の使い様までを綿密に考えることが出来たのだ。
結果を得たの上のことかもしれないが、今思い返してみるとぞくぞくするほど面白いものがある。戦国の戦、関ヶ原の戦いなんぞもあんなものだったのだろうな。
調略、はったり、思いがけぬ油断などなどな。

 

政治の出来事には表の通り一遍ではすまぬことが多々ある。要は商売の取引の兼ね合いに似ていることが多い。駆け引きには裏があり、そのまた裏の裏が必ずしも表ではなしにまた違う裏ということさえあるのだ。

 

誰か相手を選ぶ時に大事なことは、所詮人触りの問題なのだ。それについては俺には自信というか確信もあった。そのために俺としては日頃さんざ心遣いをしてきたものだ。
(中略)
ということで、福田に比べての俺の人ざわりにはかなりの差があることはしれていたと思う。
(中略)
党のトップを選ぶ競争では最後は日頃の人間関係がものをいって数にまとまるに違いない。戦の結果は最初からしれていると俺は確信していた。

 

要は人間の肌合いの問題なのだ。

 

いかにも官僚官僚した福田との肌合いの違いということだろう。

 

周首相との喧嘩はすみましたか。喧嘩しなけりゃ駄目ですよ。喧嘩をしてこそ仲良くなれるものです
(※周恩来のこと。毛沢東主席からに言葉)

 

独裁者というのはそんなに心細いものなのか。

 

竹下たちが俺を裏切ったとは思わない。ただ離れていったということだろう。それは所詮彼等にとっての利得の問題、人間の弱さということだ。それを咎める術などありはしまいに。
そして俺はあることを悟った思いでもあた。
“ああ、権力というものは所詮水みたいなものなのだ。”

 

「おお石原君、久し振りだな、ちょっとここへ来て座れよ!」
(中略)「先般はいろいろご迷惑をおかけしてすいみません。」
(中略) 「ああ、お互いに政治家だ。気にするなっ」
いわれてしまったので、
「世の中照る日も曇る日もありますから、どうか頑張って再起なさってください」
(中略)
「まぁ、ちょっと付き合って一杯飲めよ」
(中略)
“これは何という人だろうか”
※田中角栄の金権政治を批判直後、石原慎太郎がスリーハンドレッドクラブでテニスをしていたら、2人がばったり会ったときのやりとり

 

人間の人生を形づくるものは何といっても他者との出会いに他ならないと思う。結婚や不倫も含めて私の人生は今思えばさまざまな他者との素晴らしい、奇蹟にも似た出会いに形づくられてきたものだった。

「人間の肌合い」「人触り」というフレーズがよく出てきて、印象に残った。

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