「経済学的思考が身についた」って喜んでいるのって、なんて反経済学的な喜びだろう

「僕の人生のdiscipline(規律)は、経済学」と、この前何気なく考えていたんだが、それって変なことだよね、と気づいてしまった。

「経済学部で経済学を学んで、経済学的思考が身についた」と喜んだ事があるが、これも同じように変なことだよね、と気づいてしまった。

経済学では、合理的な経済主体を想定する。合理的とは、コストとベネフィットの相対的関係を比較して意思決定することを言う。経済学では、個別の主体がそうやって行動した結果として、経済があると考える。だから、「僕の人生のdiscipline(規律)は、経済学」とか、「経済学部で経済学を学んで、経済学的思考が身についた」というのは、そんなのは経済学によれば、人間であれば、by definition成り立っているはずのことなのである。つまり経済学によれば、「すべての人間の人生のdiscipline(規律)は、経済学」であり、「経済学部で経済学を学んでいなくても、生来、人間はみな経済学的思考が身についているはず」なのである。

「経済学的思考が身についた」って喜んでいるのって、なんて反経済学的な喜びだろう。

誰かこのジレンマから救ってくれ。

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