『学問のすすめ 現代語訳』の読書感想

1880年に出版された本。いま読んでも勉強になるって感じるんだから、すごい本。読もう読もうと思いつつ今まで読めなかったが、現代語訳が出たお陰で読みやすくなった。

有名な「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」が冒頭文。そうは言っても実際には、貧富の差や地位の差など、雲泥の差があるが、その原因は、学問をするかどうかである、だって。なるほど。

さて、学問とは、学んで終わりではなく、社会で役立たせないと意味がないのだ、ということで、慶応の「実学重視の精神」につながる。

とにかく印象の残る言葉が多い本だった。福沢諭吉って、けっこうストレートに言うのね。文章に惹かれたよ。いくつか、メモ。

文明を行うのは、民間の人民であり、それを保護するのが政府である。
(p72)

人たるもの、他人の権理を妨げない限りは、自由自在に自分の身体を使っていい道理になる。
(p106)

動物、魚、虫、自分で食をとらないものはない。食料を得て一時の満足を得るだけでなく、蟻に至っては、はるかに未来のことを考え、穴を掘って住処を作り、冬の日に備えて食料を蓄えるではないか。なのに、世の中には、この蟻レベルで満足している人もいる。
(p119)

いまより数十年後、後の文明の世では、いまわれわれは古人を尊敬するように、そのときの人たちがわれわれの恩恵を感謝するようになっていなくてはならない。
(p125)

およそ世の中で、簡単に手に入るものにはそれほど価値はない。物の価値というのは、手に入れるのが難しいことによるのだから。
(p129)

学問で重要なのは、それを実際に生かすことである。実際に生かせない学問は、学問でないのに等しい。
(p152)

経済学の本を読みながら自分の家計もどうにかできない。口では修身を論じていながら自分の身を修めることも知らない。その言っていることとやっていることを比較すると、まさしく別人のようで、一定の見識があるとは思えない。
(p155)

怨望は諸悪の根源のようなもので、どんな人間の悪事もここから生まれてくる。
(p166)

信じることには偽りが多く、疑うことには真理が多い。
(p190)

ある人がこの洋服を作ったので、私もこれを作る、と言う。隣が二階建てにしたので、うちは三階建てにする、と言う。(中略)その笑うべき極致としては、他人の持ち物を誤認してそれに振り回されることすらある。(中略)このような例では、自分の本心を支配しているのは、自分の持ち物ではなく、また他人の持ち物でもなく、つまりは煙のごとき夢中の妄想であって、自身の生計がこの妄想に左右されているということになる。独立した精神からは多少の距離がある。どれくらいあるかは各自よくお考えください。
(p207)

人間のくせに、人間を毛嫌いするのはよろしくない。
(p230)

慶応の人だからとか関係なく、いい本だと思う。100年以上の時間の淘汰に耐えた本って、やっぱりすごいよ。

コメント

  1. […] ちなみに、訳者は有名な齋藤孝さん。『学問のすすめ』の現代語訳もおすすめです。 投稿者 daniel1983投稿日: […]

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