『考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則』の読書感想

半分読んで、やめた。きっといい本なんだろうけど、どうも僕には合わない。眠くなる。僕がこの本のレベルに到達できていないのかもしれない。ま、いいや。

この手の本だと、

『理科系の作文技術』

ロジカル・シンキング―論理的な思考と構成のスキル (Best solution)

の二つが僕のお気に入り。それから、本ではないが、

writing tips for PhD students

も素晴らしいと思う。これは論文書くときにものすごく大きな影響受けた。これ読んでなかったら、研究業績2本も出せてなかっただろうな、とすら思う。

論文だけでなく、ビジネス文書でも同じ。簡潔に、論理的に、読者が必要な情報だけを、必要なタイミングで。ということを意識するようにしている。やっぱ、論文publicationまでこぎつけると、けっこう文章を論理的に書く技術って上がるものかなって思う。

自分が伝えたい情報を正確に伝える必要性って、アカデミックでもビジネスでも同じだよね。

『伊藤真の刑法入門―講義再現版』の読書感想

よっしゃ、やっと読み終わった。非常に緻密な体系らしいということで読んでみたのですが、集合論から再構築した実数論なんかに比べたら、すかすかの体系ですね・・・とか正直思ったりもしたけど。あと、「通説」という用語が、定義無しにいきなり登場するのだけど、これ、ちゃんと厳密に定義してください・・・とかも思ったり。でもまぁそんなことはとりあえず置いておこう。

文章だけでこれだけ高度な論理パズルみたいな思考をすると、けっこう頭が疲れる。でも楽しい。一回流れをつかんでしまえば枠組みにはめ込んで考えるだけなので、公式の証明を一回理解したらひたすら公式にあてはめて脳みそ空っぽにして手順を踏んでいけばいい数学の受験問題みたいな印象。で、その公式にあたるものが・・・

1)構成要件該当性
 ①実行行為
 ②結果
 ③因果関係
 ④構成要件的故意
2)違法性阻却事由
3)責任

の順番で検討しろよというルール。

で、疑問に思った点。刑事罰って、罰金のみでいいの?悪いことやっても、金で解決していいんかいなって思う。例えば、209条過失傷害「過失により人を傷害した者は、30万円以下の罰金または科料に処する。」とか。きっとその辺も論争があるんだろう。俺が知らないだけで。

民法商法憲法に比べたら、そんなに必要度は高くないかな。常識的に行動していれば、普通の人はまず刑事罰なんか食らわないし。

あと訴訟法を二つやって、一応、六法の入門的勉強は終わり。

インフレとデフレ

昔、インフレとデフレに対する人びとの捉え方は、対称ではないんじゃないかって書いたけど、クルーグマンも似たようなこと書いてる。

Inflation Perceptions

What’s happening, I suspect, is that sharp price rises in some things catch peoples’ attention, while declines don’t.

インフレとデフレを、単純に物価変化率がプラスかマイナスか、という算数として、人間は認識できないのかな?って思う。

ところで、僕はインフレを知らない。まぁ、経済に興味を持ち始めた頃(大学入った頃、つまり2001年頃)、物価は上がっていなかった。僕はデフレしか知らない。だから、「お前インフレの怖さ知らないんだろう」と言われると、正直知りません。それでも、何の根拠あっていってるんだと言われてしまうような、僕の直感的な意見で言うと、デフレのほうがインフレよりやばいと思う。

例えば、最近テレビでよく労使交渉のニュースやってて、ベア見送り、定昇見送り、って話があるけど、デフレ下では、名目賃金を維持すること=賃上げ。すなわち、この不景気に、実質賃金ベースで見れば、ちゃんと賃金は上がっているわけだ。

ところが、これ、なかなか理解しにくい。何度いっても理解できない人もいると思う。そういう人のことを「こういうバカはほうっておこう」とするのか、「現実に理解できない人が多いのだから、それを考慮に入れないといけない」とするのか?経済学者は、どちらかというと、前者だと思う。でも、それって現実を向き合っていない態度じゃないか?

労使交渉の時にデフレが悪さをして、賃金水準を均衡より高めに設定してしまうことによる、資源配分の歪みというのは、無視できないと思う。

物価変動の本質的な問題はそのボラティリティだと僕は思う。ボラティリティがすごく小さければ、ほぼ問題ない。ただ、それはインフレの時のお話であって、デフレの時は、上にあるような問題が発生するので、やばいと思う。ただでさえ、人びとはいろいろな経済変数を実質変数化するときに攪乱するのに、デフレの時にはその攪乱の度合いが大きくなると思う。そしてそれが、ものすごく大きな資源配分の歪みをもたらすと思う。

このデフレのコストは十分大きいので、なんとしても退治しないといけないと思う。ただ、この主張を実証的に裏付けろと言われたら、まぁ、出来ません。僕の感覚としか言いようがないな。これでは政策提言としては赤点だな。でも、本心でそう思う。

(参考)
デフレデフレというが、実際物価ってどれくらい下がっているの、って考えるとき、当然、物価指数の上方バイアスの話も考えないといけない。上方バイアスについては、以下が分かりやすい。

物価の安定を巡る論点整理 by 白川方明 門間一夫

ミクロ経済学的な基礎を持つ理論的概念としての物価指数は、商品やサー
ビスへの支出から得られる人々の効用をベースにして定義されるものであ
る。具体的に考えてみよう。代表的な消費者がある年に100万円の消費支出
をしたが、翌年は同じ効用(満足度)を得るのに110万円かかったと想定す
る。このケースは、人々にとって貨幣の価値が10%下落した状況にほかなら
ないため、「物価が10%上昇した」状況であると定義することができる。逆
に、同じ効用を維持する金額が90万円で済むようになった場合や、100万円
という同じ支出額から得られる効用が10%増大した場合は、いずれも「物価
は10%下落した」状況であると定義できる。このように、「同額の支出から
得られる効用が増大(減少)する」ことを、「物価が下落(上昇)する」と
いう。(p7)

以上、理論的概念に対応する物価指数を作成することに伴う現実的な難し
さについて述べてきた。ところで、新たな商品やサービスを生み出す企業努
力や、それらを取捨選択する消費者行動は、企業や消費者が合理的である限
り、消費者の効用を高める方向で作用するはずである。したがって、物価指
数が経済の実態を完全にはトレースしきれないということは、現実の物価指
数が効用の増加分を過小評価するバイアスを持つことを意味する。逆に言え
ば、現実の物価指数の上昇率には上方バイアスが存在することになる。(p12)

ここで物価変動を、ミクロ経済学を基礎に厳密に定義している。当然、ミクロ経済学で登場する変数なので実質変数を想定していると思うが、「名目変数と実質化する」作業が、デフレ時のほうが、インフレ時より困難なんじゃないかなぁ、と改めて思う。

“Rethinking Macroeconomic Policy”

http://www.imf.org/external/pubs/ft/spn/2010/spn1003.pdf

なんかすごい話題になってるBlanchard et alのIMFレポート。読んでみた。勝手に感想をば。

  • 日本ではリフレ議論の文脈で取り上げられてることが多いみたいだが、それはもったいない。財政政策、金融政策、そして規制のあり方も含め、総合的に”Rethinking Macroeconomic Policy”している。
  • とは言え、インタゲの文脈でやはり注目すべきは、なんといっても”Higher average inflation, and thus higher nominal interest rates to start with, would have made it possible to cut interest rates more, thereby probably reducing the drop in output and the deterioration of fiscal positions.”(p8)だろう。でもさ、これって俺も大学生の時考えてたような単純な発想で、誰でも思いつくことじゃないか・・・!なんということだ。もちろん、インフレのコストとベネフィットの関係を慎重に考えないといけない的なことを書いた上で、”But the question remains whether these costs are outweighed by the potential benefits in terms of avoiding the zero interest rate bound.”(p11)と書いているのだけどさ、結局Blanchard et alは本当のところ、どう思っているのだろう。それが見えない。実証分析もしてないし、ってゆか出来ない。
  • 大恐慌の教訓から、70年代までは財政政策>金融政策と重視していたのが、ここ20年で逆転した、と。その理由として5個挙げているのだが、それがすごい頭の整理になった。(p5)
  • Conclusionで、”The crisis was not triggered primarily by macroeconomic policy. But it has exposed flaws in the precrisis policy framework, forced policymakers to explore new policies during the crisis, and forces us to think about the architecture of postcrisis macroeconomic policy.”(p16)と書いているけど、限られた情報の中で逐次的な対応を迫られる政策当局者、および、それを支える経済学者たちが使うべき統計学は、ネイマン・ピアソン流の古典的統計学ではなく、ベイズ統計学ではなかろうか?

これ以上あまり過激なことを書くのはやめよう。

データはどれくらいあったら十分か

「標本サイズ二桁くらいでGMMはやっちゃいけないのかなって気がする。」と書いたけど、small sampleって、どれくらいのことなのだろう。how small is small?ま、これよりもっと重要なのは、how large is large?という問いなのだけれど。

最近の計量経済学の流れでは、漸近理論を最重視して、推定量に一致性と漸近効率性があればとりあえず良し、という感じで、finite sample property(小標本理論、small sample property)なんか知ったことかという風潮が強い。GMMだGELだといってみたところで、ごちゃごちゃと数式展開してくけど最後には結局、大数の法則と中心極限定理に帰着させて、ハイ証明終わり、ってなる。けっこうその計算自体が楽しかったりするんだけどね。逆行列が登場してきて、ごちゃごちゃしてた部分がけっこうすっきりしたりして。テトリスみたい。あ、テトリスというか、ぷよぷよに近いかも。

では、どれだけのサンプルサイズがあれば漸近理論(大標本理論、large sample theory)を適用してもいいのだろう。という問いになると、途端にみんなお茶を濁す。これはけっこう名の通った計量経済学者でも同じ。

この問いに答えるには、母集団と標本サイズの、相対的な関係を想像するしかないのだと思う。例えば時系列データを使うとしよう。一言に時系列データといっても、frequency(頻度。月次?四半期?半年?年間?)によって、考えるべき母集団は違うと思うのだけれど、まぁ、それはおいておこう。時系列データをつかって、推定量に一致性があります、って一体、何を言っているのだろう?-∞の過去から、+∞の未来まで、データが無限にとれるとしたとき、推定量が真のパラメータ値に確率収束するのです、ということだよね。でも、それって、やっぱり変だと感じる。だって、分析対象は生身の人間の行動なのであって、惑星の運行法則を調べようとしているわけじゃない。-∞の過去から、+∞の未来まで、惑星の運行法則が変わらないだろうな、というのは、納得がいく。でも、生身の人間の場合、行動はきっと変わるでしょう?僕自身、去年と今年で、行動は変わっていると思うし、それが成長ってものだと思う。そもそも我々は無限に生きない。「おまえ自分の論文でGMM推定してんじゃん」って突っ込まれたら、「代表的個人は永久に不滅で死なないのです」という苦しい言い訳しか思いつかない。でも、やっぱりこの言い訳、苦しいなぁ。「赤信号、みんなでわたれば怖くない」というのが正直な心境。

こざかしい言い方をすれば、人間の効用関数の形状は、変わる。変わらないと仮定しているほうが不自然。

あぁ、俺は何が言いたいんだろう?きっと、how large is largeを真剣に考えていない人が気軽に実証分析すると、本人に悪意があろうがなかろうがミスリーディングな分析結果を導いてしまう恐れがあるね、ってことかな。

あぁ、それと、いくら経済学が物理学や天文学などのマネをしようと実証科学の装いを見せたところで、上記にあるように、分析対象が惑星の運行法則ではなく、生身の人間のbehaviorである限り、無理があるよね、ってことかな。

Noda and Sugiyama (2010), now available online

論文が、Economics Bulletinのウェブサイトから、ダウンロード可能になった。

http://www.accessecon.com/Pubs/EB/2010/Volume30/EB-10-V30-I1-P48.pdf

acceptされてからは、迅速だな。それまでは長かったけど。改めてfinal draftを読んでみたけど、嗚呼、至福の時間。この達成感と自己満足感を味わえる機会はそうは無い。

それでいろいろと思ったことをメモしてみる。

  • Introductionがかなりいい。これはずいぶん矢野誠先生に赤入れされたおかげ。ありがとうございます。
  • 普通のGMM(2-step GMMとか、Optimal GMMとか呼ばれているやつ)は、ダメだな。特にsmall sampleだとダメすぎる。標本サイズ二桁くらいでGMMはやっちゃいけないのかなって気がする。もちろん、HansenがGMMを思いついたのは天才としかいいようがないのだけど、実際に応用するのは問題が多すぎる。とは言え、後述するCUEもHansenが提案している推定量だから、Hansenすごすぎ。
  • CUEがすごいな。ポストGMMとして流行る予感。実際、ポストGMMとしてもてはやされているGEL推定量の、特殊クラスとしてみんなが受け止め始めたら、どんどん使われるようになるかも。この辺、GEL専門家の大津先生(Yale)はどう思うかな。聞いたらいろいろ教えてくれそうだけど、俺の頭脳で理解できるだろうか。
  • IES(異時点間の代替弾力性)の推定値が、すごい妥当。CRRA効用関数を使ってるんで、IESの逆数がRRA(相対的危険回避度)になるわけだけで、IESとして捉えてもRRAとして捉えてもコインの表裏の話だけど、とにかく、その値がすごい妥当。
  • なんというか、手堅い論文だな。理論があって、こういう推定量つかって実証しました、そしたらこうなりましたら、ちゃんちゃん、っていう。なんというか、伝統的な経済学の論文の体裁って感じ。

週末だってのに今週は仕事だ。忙しい。眠い。

二つ目の研究業績

わーい。やっと載った。

Noda, A., and S. Sugiyama, 2010. “Measuring the Intertemporal Elasticity of Substitution in Japan,” Economics Bulletin, forthcoming.

たいしたジャーナルじゃないけど、嬉しい。first draft書いたのって、あれ、もう2年も前か。あっという間だな。あの頃は、修論やって、効率的市場仮説の論文もリバイズして、で、この論文もやって、と、知的に非常に楽しかったな。GMMはしょぼすぎるから、CUEで推定しようぜっつって楽しんでるなんて、なかなかマニアックな青春だぜ。(普通の人は、意味不明っしょ)

いまの仕事けっこう楽しいんで、学問の道に戻る気はないけどね。book smartではなく、street smartを目指そうと、大きく方向転換した決断は、間違ってなかったと思う。自分はエコノメトリカにばんばん掲載できるレベルじゃないって知ってるし。

あぁ、二つも論文載ってしまうと、博士号ほしくなってきたわ。もってるからどうってわけじゃないけど、取れるものは取っておこうかなって気になってきた。