CPIもコアCPIもコアコアCPIも下落

http://www.stat.go.jp/data/cpi/sokuhou/tsuki/pdf/zenkoku.pdf

三拍子そろって下落。しばらく続きそう。あれ、この国はデフレターゲティングでもしてるんだっけ。ちょっと大丈夫そうになったらすぐ利上げ、ですぐデフレ懸念再燃であわてて利下げ、で、ちょっと大丈夫そうになったらすぐ利上げ、という無限ループ。それが良いとか悪いとかって議論は頭のいい学者さんやcentral bankerさんたちに任せて、僕はこの政策が続くという前提にして行動するだけなんだが、なんというかまぁ、住宅金利を固定にしていないのは本当にナイス判断だよな、って。

リフレをめぐる議論に巻き込まれたくないんだが、言えるのは、たぶん、日銀はしばらくはスタンスを変えそうにはないってこと。なので、これから住宅ローン組む人は、変動金利にしたほうがいいんじゃない、って。金利が5%とかみたいな水準になんか、なりっこないから。常に時期尚早で利上げする中央銀行の国で、そんな金利になるはずがない。

しっかし、マスコミも財務省などのことは批判しまくるくせに(ちょっと異常なほどに批判していると思うんだが)、なぜ日銀はまったく批判を受けないのだろう(ちょっと異常なほどに日銀の言ってることを鵜呑みにしていると感じる)。金融政策というクソ重要な政策を担当しているのに、批判的な報道がほとんど出来ないなんて、悲しい。

日本ではリフレ派を無知扱いしている人たちがいるが、そういう人の中にも実は学問的業績が非常に乏しい(ほぼゼロ?)の人もいたりする。ってことを巷の人は知らないから、え、あの有名な○○先生が言っているんだから、という感じになっていたりする。リフレ派にも学問的業績ゼロの人だっているから、どっちもどっちだけど。

で、だからこそマスコミとしても誰を信じたらいいかわからない、みたいな。自分で勉強して判断するしかないね・・・といっても、「最低DSGEくらいは理解してね」とマスコミの人に言っても、まず理解できないのが普通だし。経済学部出てない人だってたくさんいるし。それを「マスコミは勉強不足」というのはかわいそうな気がする。「学生時代ちゃんと勉強しないから」と言おうにも、昔は大学のマクロ経済学ってIS-LMとか、そんなんしかやっていなかったらしいし。

なんの話だっけ。あぁそうだ、物価が下がっているって話だ。企業物価指数も順調に下がっております。

http://www.boj.or.jp/type/stat/boj_stat/cgpi/cgpi0905.pdf

5.4%下落だって。すごい。経済、これからどうなるんだろう。心配だ。

世界一周旅行の日記(ヨーロッパ編その3)

2008.5.21(wed)

マルセイユ→ニースへ移動。両方とも地中海沿いでだが、雰囲気はぜんぜん違う。ニースはビーチって感じ。マルセイユは漁師の港って感じ。海が青くで綺麗すぎたので、海沿いを散歩。上半身裸の女性がちらほら。しかも普通に若い女性。上半身を綺麗に焼いている?のかな?特にヌーディストビーチというわけではないはずだが。みんなそれに慣れているみたい。

2008.5.22(thu)

ニースから日帰りで行ける範囲を、動き回る。とりあえず、モナコ。ニースから電車で30分くらいだったっけ。到着したらすぐ、暴走族みたいな音がブォンブォン。おお、さすがモナコ、F1カーが街中を走り回っている。何のグランプリだろう?車、いままでまったく興味がなかったけど、モナコのレーシングカーはかっこいいと思った。遠巻きにレーシングカーを見ていると、チケットあまってるから買わない?って声かけられる。ダフ屋ではないらしい。本当にあまってて困ってしまっているらしい。結局買わず、遠くから眺めつつブォンブォンって音を楽しむ。

 

 

その後、カンヌへ。ちょうど、カンヌ映画祭期間中らしく、レッドカーペットが見れた。特に有名人は誰もいなかったけど。なんか、お祭騒ぎで、心躍る雰囲気。こんなん見れるとは思っていなかったわ。テキトーに地球上を東に向かって一周する、ってだけの割といい加減なノリで始めたんだけど。

南仏、気候もいいしけっこう気に入る。南仏のプロバンス地方は、セミの泣き声を楽しむ風習があるらしい。虫の音を楽しむ風習があるなんて、日本以外にもあるなんて。けっこう、これって日本独自の繊細な文化だと思っていたので、驚く。

ニースで泊まったところ、広いアパートのワンルームを使わせてもらう感じの、個人経営のところだったんだが、名前を思い出せない。すっげいいところで、安かったし、人も良かったし、楽しかったんで、ニース行くならまたそこ泊まりたいんだが・・・思い出せない。どこでその場所を見つけたのかすら思い出せない。。。

 

『<イラスト図解>工場のしくみ』の読書感想

製造業のことを少し体系だって知ろうという目的で読んでみた。アマゾンレビューが良い本書を選んでみた。いい勉強になった、読んで良かった。

本書はものづくりの業界について、かなり広く網羅している。鉄の作り方とかも書いてある。それについては『カラー図解 鉄と鉄鋼がわかる本』の方が詳しいけけど。鉄鋼なしに経済は成り立たないし、鉄鋼のことはある程度よく知っておいたほうがいいかな、って感じる。例えば、以下みたいなニュースにアンテナが向くようになるので。

鉄鉱石価格3~4割下げ 需要落ち込みで@産経

新日鉄、車用鋼材価格引き下げへ トヨタと

2010年度の鉄鉱石価格は10%上昇へ=ゴールドマン

ほかにも、PLMとかMRPとかSCMとかABCとか、こういういろいろな概念も説明されていた。一応、そういうのも知っておいて損はないかな、と。

日本の製造業は、いま根本的に商売の構造を変えないといけない時期にいると思うし、学生の間でも製造業って不人気になっているけど、だからといって衰退産業だと僕には思えない。

 

「脳の研究により勉強しなくても知識が得られる」「再生医療が一般化する」「遺伝子技術により食料問題が解決する」「太陽光発電で脱化石燃料が実現」「陸上交通も脱化石燃料で」「母国語どうしでの会話が通じるようになる」「人間とロボットの共生」「宇宙基地や宇宙旅行」「人工生命」など夢に満ちています。
100年後、伝統的製造業を中国等に譲った日本の製造業は、こんな新分野を切り拓いているかもしれません。(p187)

『危機突破の経済学』の読書感想

クルーグマンの本。梅田のジュンク堂でふと目にとまったので、パラパラ読んでみた。ちゃんと読んだわけじゃない。

日銀に対しては、相変わらず厳しい。利上げのタイミングは早すぎた、しかも、2000年にも一度失敗しているのに、再びこの前失敗した、というようなことが書かれていた。また、「10年後、いまより物価が60%高くなっていることを日銀が約束すれば、かなりの問題は解決される」みたいなことが書かれていた。クルーグマンはインタゲ支持にしか読めなかったんだけど、私の読解力が低いのかな?きっとそうに違いない、うんうん。

クルーグマンってノーベル賞もとったし超頭いいと思うけど、専門は国際貿易。金融政策とか財政政策とかは専門ではない。だから、マクロ政策をめぐってクルーグマンがこういったああいった、って振り回されるのは時間の無駄だと感じる。それでも僕もこの本を手にとってしまうんだから、やっぱり影響力は大きいわけだが。

『経営者に贈る5つの質問』の読書感想

ドラッカーの本、今まで一冊も読んだことがなかった。で、ドラッカー本ってたくさんあってどれ読んでいいか分からなかったので、とりあえず、一番薄いこの本から始めてみることにした。

これがいい本だったら他のドラッカー本にも手をつけようかと思っていたんだが・・・あんまり良くなかった。どうしよう・・・。たまたまこれが良くなかっただけかな。きっとそうだよな。ドラッカーって超有名だもんな。「このドラッカー本はいい」というお薦めがあったら、誰か是非。

経営学の本、いままでかなりたくさん読んだけど、「まじでこれはいい」って思ったのは、ほとんどない。(『ビジョナリー・カンパニー』は数少ない例外。)結局、いつの時代にもどの国のどの企業でも当てはまる普遍の法則なんて、ないと思う。文化、宗教、言語みたいな基礎条件だけでなく、政策、経済水準、政治状態などなど、いろいろな条件が異なるのに、そんな普遍法則があるなんて、ちょっと信じられない。アメリカでうまくいったマネジメント方法が、日本でうまくいくんだろうか。vice verca。

「ハーバード・ビジネススクール(HBS)は,経営は科学ではないという立場をとる学校である」(『意思決定のための「分析の技術」』)らしいが、その通りだと思うし、経営学は、まぁみんなが勉強しているから話題についていくために僕も勉強するけれど、内心、何の役にも立たないんじゃないか、ってかなり疑っているんですけど。。。

(追記)
「これをやったらうまくいく」という事が書かれている経営学の本より、「これやったら失敗したよ」ということが書かれた実際の経営者の本のほうが、勉強になる。気がする。

 

『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』の読書感想

今年読んだ本の中で一番衝撃的かもしれない。この本読んで、自分のいまの英語力のままだと、ヤバイかな、ってまじで背筋がゾっとした。バイリンガルに限りなく近づいていかないと、猛烈なハンディを背負うことになる、って実感した。アマゾンの紹介。

豊かな国民文学を生み出してきた日本語が、「英語の世紀」の中で「亡びる」とはどういうことか? 日本語をめぐる認識の根底を深く揺り動かす書き下ろし問題作!

日本語が<国語>になった、絶対に欠くことができない歴史的条件として、著者は「明治維新のとき植民地にならずに済んだ」ことを挙げている。

それは、日本が西洋列強の植民地にならずに済んだということにほかならない。(p175)

もし、日本がアメリカの植民地になっていたとしたら、そのとき日本の言葉の運命はどうなっていたであろうか。
日本は、植民地に典型的な二重言語状態に陥っていたはずである。(p178)

この条件が満たされていなければ、夏目漱石も芥川龍之介も川端康成も日本語という<国語>では書かなかっただろう、と。これは、イギリスに植民地化されたインドでは英語、フランスに植民地化されたヴェトナムではフランス語が強く残っているetcの例を考えればわかること。しかも、日本語で書いてノーベル文学賞までとってしまうほど、日本語で書かれた日本文学は成熟したわけで。

その日本語が亡びようとしているって。

日本における<大学>とは、大きな翻訳機関=翻訳者養成所として、日本語を<国語>という、その言葉で<学問>ができる言葉に仕立て上げていった場所である。(p211)

その日本の学者たちが、今、英語でそのまま書くようになりうつある。自然科学は言うまでもなく、人文科学でも、意味のある研究をしている研究者ほど、少しずつそうなりつつある。そして、英語で書くことによって、西洋の学問の紹介者という役割から、世界の学問の場に参加する研究者へと初めて変身を遂げつつある――世界の<読まれるべき言葉>の連鎖に入ろうとしつつある。

ここで重要なのは、自然科学の世界では、研究する=英語で書く、というのがかなり昔から当然のことだった、という点。それが、人文科学の世界でも、変わりつつある、というのを、著者は嘆いているわけ。(本題からずれるけど、いまみたいな英語の時代に、英語で書かれた論文に対して、日本語で批判する、というのは、学者として最低だと思う。日本語で学問する人は、「西洋の学問の紹介者」でしかないのだから、自分の意見をいう権利なんか無いと僕は思う。英語で書かないと、誰も読まないんだから。)

こういう時代の流れというのは、良し悪しは別にして、止めることは出来ない。世界一周ハネムーン中にフランスの番組で、「フランス語は今後どうなるか、いまの時代は英語で話さないといかに取り残されるか」という特集をやっていて、出ていたフランスの有名人どうしが、すべて英語で話していたのを思い出す。

そんな時代に、日本はどうするべきでしょう?

日本が必要としているのは、「外国人に道を訊かれて英語で答えられる」人材などではない。
日本が必要としているのは、専門家相手の英語の読み書きでこと足りる、学者でさえもない。
日本が必要としているのは、世界に向かって、一人の日本人として、英語で意味のある発言ができる人材である。(p276)

このビジョンはすごい共感する。こういう人材を育成するために、国家として何をするべきでしょう?

学校教育で、英語を読む能力の最初のとっかかりを与える。その先は英語は選択科目にする。(中略)英語をもっと学びたいという強い動機をもった人は、学校の外で自主的に学べばよいのである。(p289)

この案もすごい共感する。podcast、ハリウッド映画などなど、既にその気になったら低コストでもかなりの英語力をつけることができる環境があるから。それで、日本人は日本語とどう向き合ったらいいのでしょう?

強い動機をもたない人でも、大衆消費社会であるがゆえに、「もっと英語を」という脅迫観念にかられざるをえない時代に入っているのである。
だからこそ、日本の学校教育のなかの必修科目としての英語は、「ここまで」という線をはっきり打ち立てる。それは、より根源的には、すべての日本人がバイリンガルになる必要などさらさらないという前提――すなわち、先ほども言ったように、日本人は何よりもまず日本語ができるようになるべきであるという前提を、はっきりと打ち立てるということである。(289-290)

この考え方もすごい共感する。その通りだと思う。誰か国の偉い人がこういう方針を示さないまま、いまの状態でノラリクラリと英語の進入を許すとどうなるんでしょう?

日本人がもつ日本語に対しての自信のなさは、その経済力が西洋と肩を並べた今も、変わらない。(中略)そもそも政府からして、翻訳後を考え出すこともせず、西洋語のカタカナ表記を公文書に使って平気である。
恥ずべきコンプライアンス(=屈従)。(p293)

いい加減、イングリッシュのボキャブラリーをそのままカタカナ表記してジャパニーズボキャブラリー扱いするハビットはなくしませんか、って僕は感じてるんだけど。しかもジャパニーズプロナウンシエーションベースでカタカナ表記するから、カタカナを読めるネイティブスピーカーが読んでもアンアンダスダンダブルや!本人はかっこいいと思ってやってるのかもしれないけど、ルー大柴と大差ないぜ。この流れが続くってことは、まじでみんなルー大柴みたくなっていくってことだと思う。それでいいならいいけど。俺は嫌だよ。

(追記)
この本は、「今世紀最重要の一冊」というdankogai氏の書評を見て買ったんだけど、あれから半年以上たってしまった・・・。反省。最近、ウィイレとラジコンとテニスとガーデニングなどなど、読書タイムを減らす娯楽タイムが増えている気がする・・・。

アカデミックな世界のスピード感の無さは異常~その2

某ジャーナルに投稿しているC-CAPMの論文、なかなか結果が返ってきません。

よく考えたら、Economics Lettersに投稿したときも、”with editor”というstatusが7ヶ月くらい続いてイライラした記憶がある。やっとstatusが”under review”となったと思ったら、5ヶ月待たされたし。。。ということを考えたら、気長に待つしかないわけですが。

この、現実経済にキャッチアップするのが絶対に不可能な感じのノンビリしたアカデミックな雰囲気は懐かしかったりもする。

(参考)

アカデミックな世界のスピード感の無さは異常

 

『読書について 他二篇』の読書感想 

著者の言っていることは、かなり共感する。心に刺さったので、自戒もこめて引用する。

一般読者の愚かさはまったく話にならぬほどである。あらゆる時代、あらゆる国々には、それぞれ比類なき高貴な天才がいる。ところが彼ら読者は、この天才のものをさしおいて、毎日のように出版される凡俗な駄書、毎年はえのように無数に増えて来る駄書を読もうとする。(p135-136)

その通り。本当、反省するわ。はやく「一般読者」から脱却したいわ。もっとちゃんと良書を選別して読まないと、って。本を買う金は惜しまないけど、駄書を読む時間は猛烈に惜しい。本屋にいけば、日々洪水のように大量に本が出版されている。特にビジネスコーナー。半年後にまた本屋にいくと、ほとんど入れ替わっている。たった半年の時間の淘汰に耐えられない本を読むより、何十年、何百年という時間の淘汰に耐えた本のほうが良書である確率は圧倒的に高い。

そうは言っても、激動の時代を生き抜くには、新規出版された良書も読んでいかないといけない。だからこそ、新書の良書の選別は重要課題。最近は、いい本を見つけるセンスがあがってきた・・・気がするが、まだまだ駄書を読み始めてしまうこともあるんで。。

あ、あと、本題とは違うが、匿名で他人を批判する人のことを、ボロクソに言っている。p46-54あたりで、すごいヒートアップしてる。「卑劣な匿名賤民」「卑劣な臆病者」「破廉恥行為」「文学的悪事」「厚顔無恥」「名を名乗らざる卑劣漢」とか。ざっとこんな感じ。