『間違いだらけの経済政策』の読書感想

かなり斜め読みした、ってことを最初に言った上での素直な感想は、「ぜんぜん、本書の主張には同意できない」。いくつか記憶に残っている点だけメモっとく。

「デフレには良いデフレと悪いデフレがあって、2000年代の日本は、良いデフレだった」、って榊原氏は言う。さらに「デレフは悪と竹中氏は決め付けていたが、これまで経験したことがなく教科書に載っていないというだけで悪者扱いするのは、思考停止」と厳しく指摘する。「東アジアでネットワーク化が進んだことで、企業のコストカットが進んだのが、2000年代の日本のデフレだった。これは良いデフレで、需要不足による悪いデフレだったのではない。」

僕は、デフレには良いも悪いもなく、ぜんぶ悪だと思っているので、正直、榊原氏がこう書いているのを読んで、目がテンになったよ。デフレは問答無用で悪だと思う僕の理由を一応、書いとく。デフレに限らず、インフレの場合でもそうだけど、極端な物価変動が悪な経済学的な理由ってのは、ちゃんとある。ざっくり言うと、「予想可能な物価変動はOK,予想不可能な物価変動が悪」ってこと。その心は「経済主体間の富の再配分を強制しちゃうから」ってこと。詳しくは、これ(インフレのコスト)とかを参照。で、デフレ下で経済主体は将来の物価水準を正しく予想できるか、というと、たぶん「かなり難しい」んじゃないかな、って感じているんだ。だって、過去に経験したことがないんだから。未来永劫デフレであり続けるならばデレフに慣れていくから問題ないかもしれないけど、そんな世界はさすがに榊原氏だっていい世界だと思わないでしょう?だから、デフレは、問答無用で悪だと思う。

あと、これはデータをちゃんと精査したわけじゃないけど、日本だけがなぜデフレになったか、明快な理論的説明がほしい。EUとかも統合してたけどデフレにはなっていないわけで。そこらへん、どうお考えでしょう。

正直、「デフレは悪いこと」という認識すら共有できていない本を読むのは、時間の無駄だと思う。

それから、ゼロ金利が円キャリーを誘発して円安バブルを生んで、自動車家電あたりの製造業に代表される輸出産業が外需のおかげで潤いすぎてた、って話もしている。これも全然同意できないよ。妄想だと思う。以前書いたこと(今の1ドル90円は、実質で見たら円高ではない、という主張について)とかぶるんだけど、それに付け加える形で改めて書いておこう。

「名目でみれば円高だが、実質で見たら円安」とかいう議論に対する根本的な批判になるんだけど、こんなもん、基準年をいつにするかで、どうとでも言える主張でしょう?たとえば、リーマンショック直前の2008年8月の終値の名目レート108.69に対して、実質実効為替レートは、96.7だったわけで。榊原氏が財務官だった1999年7月~1999年7月の実質実効為替レートの平均は、123.364なので、確かにこれに比べたら、かなり円安だと感じるでしょうよ。でも、じゃー実質実効為替レートの基準年である1973年と比べたらどうだろう?基準年の指数は、100なわけだから、別に96.7ってのはそんなに円安ではない。

つまり、こういうこと。榊原氏は、自分が一番外為を注視していた時期との比較観で、外為を見ている。でも、別の時期を基準に外為を見ると、また違った結論になる。

そもそも、名目通貨レートが、通貨と通貨の交換比率であるのに対して、実質レートは財と財の交換比率をあらわしているわけで。これはその時その時で刻一刻と変化する経済状況に応じて、マーケットが決定しているわけで。マーケットが万能とは思わないが、ある程度はちゃんと機能しているでしょう。株式市場とかと違って、外為市場ってのは、投機にはなりにくいと思うし。円キャリーってのがどの程度あったのか、教えて欲しい。「円安バブル」ってのは、いったい何を指しているのか、教えて欲しい。

あ、あとマクロ経済学のあり方に異を唱えているが、ここは同意。マクロモデルで予想やらなにやらして、政策で経済をコントロールできるっていうけど、現実はそんな単純じゃないよ、って言っている。これ、同意。

 

“Pop Internationalism”の読書感想

邦訳は学部時代読んだことがあったんだが。昨年ノーベル賞とったし、原著を読み直してみた。有名な、「国と国とが競争をしているというのは危険な妄想」という主張。いまだに日本では大臣クラスの政治家が理解できていないみたいだが。

ちょっと、かいつまんでクルーグマンの論理をメモしておく。

1)国のcompetitivenessを、「our ability to produce goods and services that meet the test of international competition while our citizens enjoy a standard of living that is both rising and sustainable」と定義しよう。

2)あまり貿易をしていない国は、exchage ratesはstandard of living にそれほど影響しない。standard of livingの成長は、国内のproductivity growthにのみ依存する。海外と比べたときにproductivity growthがどうか、ではなく。つまり、standard of livingの成長(=competitiveness)=productivity growthということになるが、こういう場合は、国際競争力がうんぬん(貿易で勝ち組負け組の国が出てくるetc)って議論は無意味ってことでしょ。

まとめると、あまり貿易をしていない国ならば、standard of livingの成長(=competitiveness)=productivity
growthとなる。対偶をとってstandard of livingの成長(=competitiveness)≠productivity
growthならば、貿易をたくさんしている国、が導けるよね。

3)じゃあ、貿易をたくさんしている国について考えてみようか。そういう国は、productivityは成長しているけど、純輸出を増やすには、自国通貨を減価させ続けないといけない、ってことに気づいたとしよう。自国通貨を減価させると、他国財が相対的に高くなる。他国財に対する購買力が低下するので、standard of livingは確かに下がるかもね。

まとめると、「国のcompetitivenessが、単純に国内のproductivityとは異なるものである」⇔「purchasing power grows significantly more slowly than output」ということ。(*)

4)じゃぁ、実際にデータを見て(*)の仮説を検証してみよう。国内のproductivityが成長しているのに、購買力が低下しているかどうか、検証すればいいわけだ。国内のproductivityはreal GDPを見ればいい。購買力は、command GDP(注)を見ればいい。実際に見てみると、real GDPの成長率よりも、command GDPの成長率が著しく低い、なんてデータはない。

5)なんでこうなるんだろう?国と国は、企業と企業が競争しているのと同じよう競争をしているわけではないってことを知ろう。ペプシとコカコーラを考えよう、ペプシの売り上げの中で、コカコーラの従業員の割合はすごく低いだろう。だから、ペプシが成功すると、コカコーラは被害を受ける。でも、国と国は違う。日本製品の海外への売り上げ(輸出)の中で、アメリカが閉める割合は小さくはない。だから、日本製品が高品質で安価なものを売ってきても、それは必ずしもアメリカの被害にはならない。アメリカ企業は売り上げを減らされるだろうが、アメリカ国民は、高品質な安価な日本製品の恩恵をうけて、standard of livingを高められるからだ。

・・・とまぁ、こんな感じ。

(注)exportをexport price index(つまり国内の物価指数)で割るのではなく、price index for U.S. imports(つまり貿易相手国の物価指数)で割ったもの。exportによって自国が得るお金で、どれくらい海外のモノが買えるか、を表現することになる。つまり、購買力の代理変数となる。

 

『この金融政策が日本経済を救う』の読書感想

著者の主張はざっくり言うと「日銀は正しい金融政策をする能力がない」という感じ。僕も、今の日銀がいまだにゼロ金利にしていないのは、歴史的・致命的なミスだと思うので、この主張自体は賛成かな。

ただ、「ん?」ってところもたくさんあった。
例えば、マンデル・フレミング理論を持ってきて、

いまだに、公共投資一本槍の政治家やエコノミストの皆さんには、ぜひこの理論を論破してもらいたいものです。間違いなく、日本人初のノーベル経済学賞受賞者になれます。ぜひ、頑張ってください(笑)。

と嘲笑しているが、マンデル・フレミングモデルが実証に耐えうるモデルかどうか、高橋洋一氏はやったことがあるのだろうか?実証分析を通るまでは、たとえノーベル賞とった人が考えた理論であっても、仮説でしかないのだよ。I doubt that this model can explain the actual economy.

あと、プリンストン大学にいた頃、バーナンキ(アメリカの中央銀行のトップ)だとかクルーグマン(去年のノーベル経済学賞)だとかと交流して、正しい金融政策の知識を得て、それに比べると日本は正しいことができていない、というボヤキについて。そのクルーグマンは、「もっと財政出動しろ、まだ足りないぞオバマ」だとか「90年代の日本は財政政策が効かなかったと批判されるが、それは違う。財政政策が不足してたんだ」と言っている。高橋洋一氏のマンデル・フレミングモデルによれば、財政政策は(変動為替相場制のもとでは)まったく効かないはずなんだけど。もちろん、マンデル・フレミングモデルのもとでも、金融政策も正しく行われていれば、財政政策も有効だっただろうが、そもそも高橋洋一氏は、「日銀は無能」と言っているわけだからさ。「アメリカの一流はこういっていた」という、虎の威を借りる議論はやめてほしい。

結局、高橋洋一氏って、経済学博士号ももたなければ、経済学の研究業績もゼロ。あ、でも繰り返すけど、「日銀は能力不足」という点は、賛成。

(追記)
ちなみに、以下のエントリによると、クルーグマンは、日銀がゼロ金利に下げてもあまり変わらない、と考えているようだ。僕はそれには同意しかねるが。というか、完全に理解できないが。

http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20090312/krugman_bungeishunju2

なんだよ、このいきなりの円高

昨日の日銀の発表では、政策金利は据え置かれた。

http://www.boj.or.jp/type/release/adhoc09/k090318.pdf

そろそろデフレくるよ。日銀も、

物価面では、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、石油製品価格の下落や食料品価格の落ち着きを反映して足もと低下しており、今後は、需給バランスの悪化も加わって、マイナスになっていくとみられる。

と書いているじゃないか。なんで政策金利を下げきらないんだろう。不思議。現状の政策金利は0.1%。(ここを見れば無担保コールレートの市場での観測値が見れる)。

で、アメリカ。FRBは3000億ドルの長期国債を買うと。半年以内に。

http://www.federalreserve.gov/newsevents/press/monetary/20090318a.htm

すごいね。このニュースによって米国債価格は当然下落、長期金利が一日で0.5%も下がった。

http://www.ustreas.gov/offices/domestic-finance/debt-management/interest-rate/yield.shtml

そして、今日そうとう円高が進んだ。が、その理由は良く分からない。Nikkeiの記事なんかによれば、

声明発表後に米長期金利が急低下し、日米の金利差の変化に着目した円買い・ドル売りも入ったという。

とか書かれているが、正直意味不明。だって、日本の10年長期国債金利って、1.3~1.4%くらいでしょ?まだ金利逆転しとらんがな。

ロイター

一方で国債増発によるインフレリスクの高まりを警戒する声が外為市場で高まり、ドル売りの色彩が濃くなり、ドル/円は95円台に下落した。

と説明しているが。確かに、Bureau of Labor Statisticsの発表によれば、

The Consumer Price Index for All Urban Consumers (CPI-U) increased
 0.5 percent in February, before seasonal adjustment, the Bureau of Labor
 Statistics of the U.S. Department of Labor reported today.  The February
 level of 212.193 (1982-84=100) was 0.2 percent higher than in February
 2008.

On a seasonally adjusted basis, the CPI-U increased 0.4 percent in
February after rising 0.3 percent in January.

とのことで、確かにデフレリスクは軽減されている。この点は、僕の見通しは間違っていたな(これ(米国のデフレ懸念)とかこれ(さらに円安が進んでいるが、これが今の適正レートだと思う))。でも、だからといって、いきなりインフレリスクが急激にそこまで高まるかな~?

なんだよ、このいきなりの円高。もう毎日信じられないような変動。

『はじめての課長の教科書』の読書感想

かなり勉強になったかな。

課長以上の管理職(経営者含む)も読む価値あるね。トップダウンでもなく、ボトルアップでもなく、ミドルアップダウンが日本の誇るべき経営形態だ、と。なるほど。

それにしても、こういう本を書くのって、日本の経営学者の仕事だと思うんだけど。著者は別に経営学者でもなんでもないし。本書では、きめ細かいデータを持ってきて実証しているわけでも、精密な理論展開をしているわけでもない。直感的な議論が多い。でも、著者は学者ではないから許される。そういうことも含めてちゃんと研究した成果を、本書みたいな形で発表するのが、日本の経営学者の仕事ではなかろうか。

普通は、マネージャーである課長を経験してから、リーダーである経営者になるんだよなー。(マネージャーは下を管理することが重要で、リーダーは未来を読むことが重要。前を見るか、後ろを見ているかの違いがある。)

『六法で身につける 荘司雅彦の法律力養成講座』の読書感想

僕のような法律オンチにはありがたい本。法律知識も、ビジネスパーソンとして成功するには必須かなって感じたんで、読んでみた。

まず憲法。「個人の権利の尊重」がもっとも大切だよ、とかって話から始まって。それを守るために、お上を制限しているのが憲法です、とか。精神的自由と経済的自由によって、二重基準で憲法を適用するよ、とか。

次、刑法。刑法の中でも「総論」は極めて精緻な理論体系なんだって。数学使わずに、文章だけで完璧な論理を構築できるなんて、信じがたいが・・・。「要件」と「効果」。「人を殺す」という要件があれば、「~という懲役の処する」という効果が発生する、とか。犯罪が成立するには、「実行行為」「結果」「因果関係」が必要。裁く法律がなければ裁けないっていう「罪刑法定主義」。「構成要件」「違法性」「責任」。

民法。私法の一般法。口約束だけでも契約は成立する、とか。

商法。民法の特別法。会社法とか有価証券法とかも商法の範疇。「株主総会」「取締役会、代表取締役」「監査役」。「名板貸し」するといろいろめんどくさいって話。

刑事訴訟法。真実発見を目的としていない。無罪推定の原則に、物的証拠から独自の仮説を立てる検察のストーリーを鵜呑みにしてはいけない。事実をどう認定するかが重要。結果としてクロと判明すればいい、という発想では、捜査機関は違法行為やり放題になるので、違法行為によって得た証拠は無効。被疑者を起訴できるのは検察だけという国家基礎独占主義。さらに、基礎便宜主義。これは、犯罪事実が明らかであっても、起訴するかどうかは検察が決められるってこと。刑事訴訟の場合、控訴や上告しても、上に行くほどひっくり返すのは難しい。第一審が勝負。

民事訴訟法。意外な感じがするが、民事訴訟法って、お上と国民の間を規律した法律。処分権主義。訴訟を提起するかどうかは、あなたが決めることが出来る。訴えの内容も、あなたが決めることが出来る。訴訟の終了(取り下げ)も、あなたが決めることが出来る。お上は必要以上のしゃしゃりでない。その心は、人権の尊重。争いのある事実は、当事者が主張し立証したもの意外は、判決の基礎としてはいけません、という弁論主義。民事訴訟法も、やはり真実発見が目的ではない。裁判所は、原告と被告の間で、争いのある点について主張してもらって、その部分だけについて判断するてこと。

『伊藤真の憲法入門―講義再現版』もいい本だけど、本書はこれ一冊で六法全部カバーしてるんで。

 

企業物価指数、さらに下落

http://www.boj.or.jp/type/stat/boj_stat/cgpi/cgpi0902.pdf

2月の速報値が105.0ということで・・・。1月は5年1ヶ月ぶりのマイナス転落ということで話題になったわけだが、2月は2月で下落幅が-1.1%とかなり大きく、注目せざるを得ない。さて、企業物価指数の下落というニュースは、実感通りだ。実際に働いている身としては、企業間で取引されている財の価格は急速に落ち込んでいる、という実感があるのだ。具体的に何がどう落ち込んでいるかというと、

1)原材料(鋼材、原油etc)価格の下落
2)急速な需要減(実質GDPが年率換算12.7%減という異常事態なのだよ!)による、価格下落

今月末にCPIも発表されるが、もう、いつマイナスになってもおかしくはない。

この期に及んでも、まだ日銀は政策金利を0%まで下げきっていない(ちなみに、現状の政策金利は0.1%)。だいたい、去年10月頃に0.5%の政策金利を下げたとき、0.3%という中途半端な水準だったが、今振り返ってもこれからして納得できない。0.5%→0.25%→0%とすべきだった(実際には
0.5%→0.3%→0.1%と利下げした)。

「われわれは、デフレリスクを払拭するために出来ることは何でもやる」という日銀のメッセージを、国民は待っている。

『学問のすすめ 現代語訳』の読書感想

1880年に出版された本。いま読んでも勉強になるって感じるんだから、すごい本。読もう読もうと思いつつ今まで読めなかったが、現代語訳が出たお陰で読みやすくなった。

有名な「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」が冒頭文。そうは言っても実際には、貧富の差や地位の差など、雲泥の差があるが、その原因は、学問をするかどうかである、だって。なるほど。

さて、学問とは、学んで終わりではなく、社会で役立たせないと意味がないのだ、ということで、慶応の「実学重視の精神」につながる。

とにかく印象の残る言葉が多い本だった。福沢諭吉って、けっこうストレートに言うのね。文章に惹かれたよ。いくつか、メモ。

文明を行うのは、民間の人民であり、それを保護するのが政府である。
(p72)

人たるもの、他人の権理を妨げない限りは、自由自在に自分の身体を使っていい道理になる。
(p106)

動物、魚、虫、自分で食をとらないものはない。食料を得て一時の満足を得るだけでなく、蟻に至っては、はるかに未来のことを考え、穴を掘って住処を作り、冬の日に備えて食料を蓄えるではないか。なのに、世の中には、この蟻レベルで満足している人もいる。
(p119)

いまより数十年後、後の文明の世では、いまわれわれは古人を尊敬するように、そのときの人たちがわれわれの恩恵を感謝するようになっていなくてはならない。
(p125)

およそ世の中で、簡単に手に入るものにはそれほど価値はない。物の価値というのは、手に入れるのが難しいことによるのだから。
(p129)

学問で重要なのは、それを実際に生かすことである。実際に生かせない学問は、学問でないのに等しい。
(p152)

経済学の本を読みながら自分の家計もどうにかできない。口では修身を論じていながら自分の身を修めることも知らない。その言っていることとやっていることを比較すると、まさしく別人のようで、一定の見識があるとは思えない。
(p155)

怨望は諸悪の根源のようなもので、どんな人間の悪事もここから生まれてくる。
(p166)

信じることには偽りが多く、疑うことには真理が多い。
(p190)

ある人がこの洋服を作ったので、私もこれを作る、と言う。隣が二階建てにしたので、うちは三階建てにする、と言う。(中略)その笑うべき極致としては、他人の持ち物を誤認してそれに振り回されることすらある。(中略)このような例では、自分の本心を支配しているのは、自分の持ち物ではなく、また他人の持ち物でもなく、つまりは煙のごとき夢中の妄想であって、自身の生計がこの妄想に左右されているということになる。独立した精神からは多少の距離がある。どれくらいあるかは各自よくお考えください。
(p207)

人間のくせに、人間を毛嫌いするのはよろしくない。
(p230)

慶応の人だからとか関係なく、いい本だと思う。100年以上の時間の淘汰に耐えた本って、やっぱりすごいよ。

格差社会

世界一周旅行をして、格差が激しい国を見た。その格差は、肌の色と強く相関しているようだった。生まれた時点で格差が確定しているのは、どう考えてもよくないでしょう?それに比べて、日本はなんて公平なんだろう、と、その時は思っていた。だって、本人が努力さえすれば、誰でも一流大学に入って一流企業に就職して高所得になれるわけだから。

ところが、日本の格差も、実は生まれがかなり関係しているらしい。そんなことを最近知った。僕は、幸いにして大学まで当然のように進学した・・・どころか大学院修士までやらせてもらったし、留学したければそれも叶っただろうし、資格を目指したければそれも叶っただろう。僕の周りも、似たような境遇、もしくは僕以上に金持ちが多かった。

でも、世の中金持ちばっかりではないわけで。子供が生まれた時点で、その子が大学に行くことをハナから考えていない親もいる。そういう家庭に生まれた子供は、かりにけっこう勉強が出来ても大学にはいけない確率が高い。

あぁ、不公平。