『早稲田と慶応 名門私大の栄光と影』の読書感想

某先輩に薦められて読んでみた。ってあれ、その先輩、京大出身だったよね。著者は日本経済学会の元会長の橘木教授。ってあれ、橘木教授も京大の教授だったような。でも、早慶とは関係のない著者だからこそ、客観的に「早稲田と慶應」について分析できているのだろう。

目次はこんな感じ。

第1章 早稲田と慶応はなぜ伸びたか(戦前日本の学歴社会
戦後学制改革の波紋
沸騰する早慶人気)
第2章 二人の創設者―福沢諭吉と大隈重信(啓蒙思想家・福沢諭吉
政治家・大隈重信
早慶の出身者たち)
第3章 慶応と階層固定化社会(慶応式一貫教育
慶応生事情
慶応素鬱行政の結束力)
第4章 早稲田とマスプロ教育(早稲田の人材力
早稲田人の「個性」
規模拡大路線の功罪)
第5章 大学の生きる道(大学とは何か
大学の財政
私学の生きる道
早慶の進む道)

徹底的に早稲田と慶應について分析している。割と分かりやすいことを述べているだけだけど。かつては東大をはじめ、国立大学が優位にいたのに、東京一極集中で、地方国立大よりも東京の名門私立である早慶の人気が高まった、とか。また、マンモス大学で卒業生が多いから、活躍する人が多くって当然だろう、とか。慶應の場合、会社経営者の子弟が多く、経済的に恵まれている人が多くまさに「慶應ボーイ」だ、とか。親の会社を継ぐ時、ビジネスを展開する上では学問を追及するよりも、情報の交換や人のネットワークのほうが大事だが、三田会はそのニーズを満たしてくれる、とか。経済、マスコミ、政界、文学、あたりの分野では調子がいいが、学問・研究の分野では、早慶ともにボロボロであり、早慶が日本国内の名門から、(オックスブリッジのような)世界レベルの超名門になるためには、学問・研究の高水準化が避けられないのである、とか。(世間の人はあんまりこの点を知らないと思うけど、例えば慶応経済の学術研究業績の低水準ぶりは、笑うしかないくらいで、ノーベル賞受賞者はまず間違いなく出ません。というか、教授陣が学術論文をそもそも書いていないor書いても日本語or英語で書いてもレベルの高い学術専門誌にチャレンジしないorチャレンジしてもrejectくらうor自分たちの不甲斐なさを棚にあげて「海外ジャーナルってそんなに偉いの?」と開き直る、という状態。)

早稲田についての記述はどうでも良かったんだけど、一応読んでみた。で、思ったんだけど、慶應って学生数が2万5千くらいなのに対して早稲田って4万もいるのね。それだけ人数差があるんだから、早稲田のほうがあらゆる面で優れていてもおかしく無(以下略)。

最後に。本書を読んで、格差について考えさせられた。

(中略)少なくとも、「機会の平等」は大切な価値基準であると多くの人は信じている。「機会の平等」の精神に反すると言えてしまうような、人生のスタートラインから有利な立場にいる人の多い慶応関係者が、これにどう反応するのか、興味がもたえれる。あるいは、社会全体で「機会の平等」を達成しようとする機運が高まったときに、慶応の人がどう反応するかである。(p130)

けっこうぐさっと刺さった。でも本当の問題は、以下の方だとも感じた。

最近にいたって、慶応の子弟を送る家庭の年収が、東京大学に送る家庭の年収を下まわった、ということが言われるようになった。(p112)

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