修士論文かいてて思ったんだけど

まず、終わりがないよね、研究って。区切りついたら人に見せてコメントもらって、それを反映させて改善して、また区切りついたら人に見せてコメントもらって、・・・これの繰り返しで、一向に収束する気配がない。それだけツッコミどころ満載ということですかね。そのうち、修士論文の場合、時間切れになってはい卒業、と。それはそれでつまらないような。

それと、結局、何が真実かなんてことは、推測の域を出ないから、自分の主張が絶対に正しいことを完全に証明することはできないよね、研究って。A(自分が考えた原因)だからB(実際の結果)になります、というのが自分の研究の主張だったとしてさ、いや、A以外にも、A’という原因があってBになってるかもしれないでしょう、とつっこまれたら、答えるのが難しいってこと。そのとき、いや、A’を原因とみなすことは難しいんですよ、という証拠を挙げることはできるが。すると、他の誰かが、いや、A”という原因があるのかもしれない、と言い出して。いつまでたっても自分の言いたいことが証明できないし、だんだん自分でも弱気になっていってしまう。

さらに、客観的に分析してるつもりでも、主観がたくさん入ってて、論文に載せる分析結果を、無意識に取捨選択してるな、って。なるべく客観的にやろうと自分ではしてるつもりだから、分析結果の頑健性を示すために、データ変えても推定方法変えてもいろいろ変えても同じ結果が得られますよ、とか書いているけど。でもきっと僕も、無意識に、バイアスのかかった論文を書いているに違いない。他の人が書いてる論文読んでて、「なんでこの推定方法の結果しか載せてないの」ということがよくある。きっと都合が悪い結果が得られていたに違いない。

修士論文を一人の力で書き上げ、他人に見せ、反映すべきコメントは反映し、反論すべきコメントには反論し(もちろん、論理的に。感情的にではなく)、という一連のプロセスの中から、得られるものとしては:
(1)論理的思考能力を身に着けることができる
(2)多様な視点を持つことの大切さを知れる
(3)他人を説得できるかどうかが生きる上で大切であることを知れる
(4)達成感を感じることができる
こんな感じでしょうか。

(3)が重要なことを特に学んだかな。自分ひとりで理解して楽しくなるだけではダメで、それを論文にまとめて他人にもある程度納得してもらい、学者の場合はジャーナルに載ってはじめて、研究成果が出たといえるわけで。一人でやっているだけでは一人よがりだし、そんなことは僕のようなひよっこにでもできる。まさにpublish or perish(業績を発表するか、消えるか)ということで、この競争原理が徹底されているアメリカでバンバン業績が出て、日本でほとんど業績が出ないのもうなづける。逆に、上手に自分の研究を宣伝する能力も大事みたいです。誰かの研究を少し改善しただけなのに、「いや、これは俺の貢献が大きい」と上手に宣伝できる研究者のほうが、有利ってこと。本質的な研究能力とは別だか、そういう宣伝能力も重要ということが分かった。

(3)が重要なのは、アカデミズムだけでなく、ビジネスでも同じでしょう、きっと。

以前書いた、共同論文もとても楽しかったが、単独で書く修士論文から得られるもののほうが大きかったかもしれない。

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