ルーカス批判と余命宣告

昨日、テレビ「アンビリーバボー」を見て思ったこと。

末期ガンで余命3ヶ月を宣告された人が、「辛気臭くなりたくないから最後まで笑って死にたい」と言い、最後まで面白おかしく生き抜いた、という内容。芸人、嘉門達夫の親友だったらしいですが、結局6ヶ月も生きたらしい。

それで、通常は、「あなたは余命3ヶ月です」と宣告するのかしないのか、ということ自体が、その人の余命に影響を与えるんじゃないか、と感じた。この人の場合、明るい性格だったから、「どうせなら最後まで面白いことして生きていこう」と、とても前向きな態度でいた結果、 宣告余命よりも長く生きることが出来た。しかし通常、余命宣告されたら精神的にまいってしまって、すぐに逝ってしまう可能性もある。

だからこそ、余命宣告するのかしないのか、って議論があり、これが問題の本質なのかな。

それで、それがルーカス批判に似てると思った。ただそれだけ。最終的には経済学の関連する話に帰着されてしまう私は econonerdなんでしょうか。

ルーカス批判について、ルーカスの1976年の原論文を読んでいないし、僕には偉そうに語る知識はありません。興味がある方は、yyasuda先生の説明でも読んでみてください。

ルーカス批判その1:3点シュートとの意外な関係

ルーカス批判その2:ケインズとバロー

ルーカス批判その3:増殖するバロー

ルーカス批判外伝:非対称合理性

ミクロ経済学が専門の人が、マクロ経済学を語った言葉は、面白いですね。

(余談)
大学に入って1, 2年で習うマクロ経済学の知識は、ほとんど忘れたほうがいいかもしれません。ケインズ型消費関数とかIS-LMモデルとか、誰も信じていません。誰も信じていないことを堂々と教えているわけです。

とは言え、いきなり動学モデルを、高校を出たばかりでやる文系の学生に教えるのは、なかなか難しいですな。

「大丈夫。おまえを必要としてくれる会社は、いくらでもある」

「大丈夫。おまえを必要としてくれる会社は、いくらでもある」

いろいろなことを考えされられる文章。箇条書きで感想をメモ。

1.この記事とは違い、「目的を設定し、最短ルートでそこに目指すように人生を歩むべき」と思うときもある。
2.「行き着く先の見えない航海へ出た結果、なんかしらんけどこんな地点にたどり着きました・・・という人生でもいいじゃん」と思うときもある。
3.前者を言う人に優秀な人が多い気がする。
4.あれ、優秀な人の定義ってなに?
5.「前者を言う人」を優秀な人の定義にしても、違和感はない。
6.別に「優秀な人」でなくとも良い気がする。
7.多くの人間は優秀ではないから(優秀ってのは相対的な概念なんだから)、こういう記事が人気になる気がする。
8.「優秀だろうが、優秀ではなかろうが、幸せな人生を送れればそれでよし」に反対する人は多分いない。
9.優秀なほうが、幸せな人生が送れるのだろうか?
10.他人と自分のどっちが幸せか、なんてことは比較できない。(=この話は、効用の比較可能性、という話と絡んでくる。)
11.優秀な人からみたら、優秀でない人は、「将来のことを考えていないので、生涯の期待効用を最大化しているとは思えない」とかんがえるかもしれない。
12.みんな異なる効用関数を持っていると考えれば、「優秀でない人」も生涯の期待効用を最大化していると解釈可能(主観割引率βが異常に低い個人がいても、不思議ではない。つまり、来期以降の効用のウェイトが異常に低い効用関数を持っている個人がいても、不思議ではない。)
13.優秀であろうと、なかろうと、みんな生涯の期待効用を最大化しているのならば、両者とも幸せで、どちらのほうが幸せかという議論に意味はない。

まとめ:価値観は人それぞれ。能力も人それぞれ。自分なりに最大限努力すればよく、他人と比較しても意味がない。

思った以上に長くなってしまった・・・。でも、「将来のことを考えたほうが、もっとbetter offになれる」ということを知らずに、将来のことを考えていないとしたら、そういう教育なり、能力開発することで、その人の人生はもっと豊かになれる。その意味で、教育が学習がやっぱり大切。

効用の比較可能性みたいな話は、あんまり詳しくしらないんですが、ちょっと文献を見てみようかな(ヒックスだったっけ、誰だったっけか、効用の比較可能性を論じたのって。忘れた。調べよう。)。

(追記)
John S. Millの、”It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied”という言葉をなんとなく連想してしまった・・・。あれでもこれって、異なる人どうしの効用が比較可能という前提に立っている文章だな、いま読んでみると。まぁ、またなんか思いついたら書く殴ってみます。

サブプライム問題

これ、今までスルーしてきたんですが、それは何がなんだかよくわかっていなかったからです。というかいまだによく分かっていません。分かる方がいたら、少し知恵を借りたいところなんですが、これって一体なんなんでしょう。このままだといつまでたってもこの問題を考える気にならなそうなので、とりあえずブログで書いてしまおうかと。

気になる記事は以下。

Wake up to the dangers of a deepening crisis by Lawrence Summers

ラリー・サマーズによれば、米国はこれから景気後退局面に入るとのこと。サブプライム問題でゆれた8月に比べて、アメリカ経済の現状は遥かにやばくなっていると。そんなに深刻なんですかね、これ。そういえば今朝の円ドルレートみてびっくらこいた。108円とか。あれ、いつのまにこんなにドル安くなってるんだろう。

そしてついでに言うと、日経平均いつのまにこんなに安くなってんの。11月にはいってから急降下。1万5000割った日もあるじゃーん。ところで、今年の2月の株安の時には、ドイツの武者さんは、年末には2万2000くらいいくと強気予想してたな(参照)。ネット上では、「ということは、今年は下げだなw」という論調が多かった記憶があるが、その通りになってきているんでしょうか。

10月半ばくらいに、日経平均の収益率をGARCH推定したときは、直近時期はそれほど日経平均はボラタイルにでていなかったような気がする。あと、Ito Sugiyama論文の手法で市場効率性の指標を計測してみたが、やはり直近時期に別に異常な水準にはなかった。

話は逸れましたが。。。そう、サブプライム。どう捉えたらいいの、これ。

某教授がサブプイムについて、(1)平蔵が政権から去り日本の銀行がキャリートレードするようになった(2)米国の証券会社がマクロリスクとミクロリスクの違いを区別できなかった(3)米国の制度的問題、とまとめていたのだが。

もう少し自分なりに理解したいんだが、うー、わからん。

iGoogleで個人データを大量収集

iGoogleのネット広告を、最近あちこちで見るようになった。

基本的な考えはこういうことか。

(1)iGoogleを普及させるべく、広告を打ちまくる。
(2)PCを起動してウェブブラウザを立ち上げたらiGoogleになるのがみんなにとって当然な時代にする。「ホームページ」のデファクトスタンダードを勝ち取る。
(3)そのために無料で便利なコンテンツを投下しまくる。カスタマイズさせたい放題。(doc&spreadsheet, google calender, gmail, google notebook,などなど)
(4)個人レベルでの詳細な検索履歴をgoogleが独り占めできる。
(5)気がつかないうちにわれわれはみんな管理されている。
(6)超ピンポイントな広告を出す能力を独占。広告収入でうはうは。

そんなデータが手に入ったら、個人行動がどうなってんのか計量経済分析の論文のネタになりそうだ。そしていい加減なことをテキトーに述べると、Googleが本気で”Don’t be evil (良心を大切に)”という彼らの企業理念を守れるならば、より効率的な資源配分が達成されるような気がする。

Assumption : Googleは、”Don’t be evil (良心を大切に)”という彼らの企業理念を破ることは無い。
Conclusion :  より効率的な資源配分が達成される。

という、それはそれで意味のあるかもしれない定理がいつの日がどこかのジャーナルにでも載るかもしれませんな。が、現実には、Googleはそんな企業理念をいつまでも守れないからこの定理は現実にあっていません、とか誰かがつっこんだりして。

Maximaってのがすごい。無料な計算ソフト。

計算ソフトといえば、Mathematicaが有名だが、これって有料なんだよね。同じくらい高機能で無料なMaximaというソフトを発見しました。

基本的な使い方などは、EconWikiのほうに書いてみました(今後の少しだけアップデート予定)。自分自身用の備忘録につくったのですが、みなさん参考にしてください。「Mathematicaって大学でしか使えねぇ」、と嘆いていた方、Maximaに乗り換えたらどうでしょう?無料ですよ!高機能で。僕はもう乗り換えます。

大学の研究室のPCにもインストールされているし、これまでもとりあえず何不自由なくMathematicaを使える環境にあったけど、無料で同じくらいの高機能なものがあるならば、それを使わない理由はありません。

同じ理由で、有料なMatlabやGaussをつかうなら、完全無料なRを使わない理由はあまり見当たりません。(for文のループの処理速度がMatlabのほうが早いとN妻先生が以前おっしゃっていましたが、これが唯一の理由だと思います。ベイズはfor文を多用するから大変だなー、とかおもったものです。)

話はずれるが、学術論文はMSwordではなくTex(無料)が標準になっている。無料ソフトに頼りまくりな大学院生だったなー。おかげで研究費用があまりかからずすみましたが。

Maxima, R, Tex、などなど、無料で高機能なソフトがあります。知らない方は、いつまでもお金を払うのはバカらしいので、さっさと乗り換えることをおすすめします。

社会保険庁を名乗る詐欺

詐欺の電話がかかってきた。すぐに気付き、一円も払わず、警察と社会保険庁に通報しました。手口は、以下の【事例1】というやつとまったく同じ。

社会保険庁職員を装った振り込め詐欺について

みなさん、気をつけて。

(追記)社会保険庁トップページからも、注意喚起リンクがあった。

社会保険庁職員を装った不審な電話にご注意ください

ドトールとエクセルシオールって

いまカンブリア宮殿見て初めて知った。エクセシオールカフェって、スタバに対抗するためにドトールが出した、高価格コーヒーを提供するブランドなんだって。知らなかった・・・。

カンブリア宮殿は勉強になる。あと、情熱大陸。プロフェッショナルも。ガイアの夜明けも。それから、未来創造堂の「こだわりのVTR」ってコーナーも楽しい。これらの番組で特集組まれるってのは、ひとつの名誉で出演はかなりの快感だろう。

フューチャリスト宣言 (ちくま新書 656)で茂木健一郎が、「プロとは自分のやっていることに快楽を感じる人」と定義していたのだが、これらの番組にはそういう人しか出てこない。

ところで、この定義に従えば、プロってのはほとんどこの世にはいない。好きを仕事にするってのは、なかなか難しいことで。周りもそうとう巻き込む。社会的コストも支払っている気もする。というのは、夢を追った結果まともな収入を得られず(例えば売れない画家)、社会のお荷物状態になっているひともいるわけで。成功した人も、ひょっとしたら失敗してそうなっていたかもしれないわけで。

これらの番組では、成功者ばかりにスポットライトを浴びせているが、影では事業に失敗している人もたくさんいるんだよなー、とか自然と考えてしまう僕は、性格まがってるんでしょうか。

(追記)
NHKのトップランナーも面白い。

『ざっくり分かるファイナンス』の読書感想

カタカナ英語って、意味が確定してない言葉もあるからややこしい。「ファイナンス」もその一つ。本書の「ファイナンス」は、「財務」という意味で使っていて、企業を経営する上での、資金調達と資金運用について取り上げている。

「ざっくり分かる」というタイトルだけあって、「ファイナンス(財務)」を知る上での重要概念だけざっくり説明してる。

キーワードを挙げると・・・割引現在価値、リスク、決算書(=財務諸表。バランスシート・損益計算書・キャッシュフロー計算書)、WACC、NPT、CAPM、IRR法、企業価値、レバレッジ、MM理論、有利子負債の節税効果、期待収益率。

そうか、Financial Economics(金融経済学)、Accounting(会計)、Business(経営学)あたりの学問ってちゃんとつながってるんだ、と本書を読んで思った。ちなみに僕は、Financial Economics(金融経済学)のほうはある程度知ってるつもりだけど、Accounting(会計)、Business(経営学)のことはぜんぜんわかりませーん。慶應にも経済学部と商学部があるけど、Accounting(会計)、Business(経営学)は商学部がやってることで、ほとんど経済学部とかかわりはありません・・・。

でも意外と自分の勉強してきたFinancial Economics(金融経済学)の知識が実社会で役立ちそうかな、と感じた。Accounting(会計)の細かい知識を勉強したくはないが、ざっくり知っておいたほうがいいので、こちらも「ざっくり分かるアカウンティウング」みたいな本がないかしらね。そうしたら、財務諸表とかもうちょっと詳しくなれるとおもうのですが・・・。本書でも、数ページだけAccounting(会計)の説明があって、簡単に財務諸表の説明もあったんですが、もうちょっと知っておきたいと思った。

ちなみに、本書では以下のように言葉を区別している。

ファイナンス:キャッシュを扱う。未来の数字を扱う。
アカウンティング:利益を扱う。過去の数字を扱う。簿記は一分野。

横文字のカタカナ英語で意味がまだ定着してないってことは、その概念を日本人が自分のものにしてないということを象徴しているのかもしれませんなー。日本人はファイナンス音痴ですから。

修士論文かいてて思ったんだけど

まず、終わりがないよね、研究って。区切りついたら人に見せてコメントもらって、それを反映させて改善して、また区切りついたら人に見せてコメントもらって、・・・これの繰り返しで、一向に収束する気配がない。それだけツッコミどころ満載ということですかね。そのうち、修士論文の場合、時間切れになってはい卒業、と。それはそれでつまらないような。

それと、結局、何が真実かなんてことは、推測の域を出ないから、自分の主張が絶対に正しいことを完全に証明することはできないよね、研究って。A(自分が考えた原因)だからB(実際の結果)になります、というのが自分の研究の主張だったとしてさ、いや、A以外にも、A’という原因があってBになってるかもしれないでしょう、とつっこまれたら、答えるのが難しいってこと。そのとき、いや、A’を原因とみなすことは難しいんですよ、という証拠を挙げることはできるが。すると、他の誰かが、いや、A”という原因があるのかもしれない、と言い出して。いつまでたっても自分の言いたいことが証明できないし、だんだん自分でも弱気になっていってしまう。

さらに、客観的に分析してるつもりでも、主観がたくさん入ってて、論文に載せる分析結果を、無意識に取捨選択してるな、って。なるべく客観的にやろうと自分ではしてるつもりだから、分析結果の頑健性を示すために、データ変えても推定方法変えてもいろいろ変えても同じ結果が得られますよ、とか書いているけど。でもきっと僕も、無意識に、バイアスのかかった論文を書いているに違いない。他の人が書いてる論文読んでて、「なんでこの推定方法の結果しか載せてないの」ということがよくある。きっと都合が悪い結果が得られていたに違いない。

修士論文を一人の力で書き上げ、他人に見せ、反映すべきコメントは反映し、反論すべきコメントには反論し(もちろん、論理的に。感情的にではなく)、という一連のプロセスの中から、得られるものとしては:
(1)論理的思考能力を身に着けることができる
(2)多様な視点を持つことの大切さを知れる
(3)他人を説得できるかどうかが生きる上で大切であることを知れる
(4)達成感を感じることができる
こんな感じでしょうか。

(3)が重要なことを特に学んだかな。自分ひとりで理解して楽しくなるだけではダメで、それを論文にまとめて他人にもある程度納得してもらい、学者の場合はジャーナルに載ってはじめて、研究成果が出たといえるわけで。一人でやっているだけでは一人よがりだし、そんなことは僕のようなひよっこにでもできる。まさにpublish or perish(業績を発表するか、消えるか)ということで、この競争原理が徹底されているアメリカでバンバン業績が出て、日本でほとんど業績が出ないのもうなづける。逆に、上手に自分の研究を宣伝する能力も大事みたいです。誰かの研究を少し改善しただけなのに、「いや、これは俺の貢献が大きい」と上手に宣伝できる研究者のほうが、有利ってこと。本質的な研究能力とは別だか、そういう宣伝能力も重要ということが分かった。

(3)が重要なのは、アカデミズムだけでなく、ビジネスでも同じでしょう、きっと。

以前書いた、共同論文もとても楽しかったが、単独で書く修士論文から得られるもののほうが大きかったかもしれない。