ビューティ・プレミアム

先週聞いた研究発表に「ビューティ・プレミアム」というものがあった.論文の要旨は,以下より読める.
http://www.jeameetings.org/2006/Program/2006/Yasui-1022am1r841.pdf
Beauty Premium とは,容姿の良さがもたらす賃金の割増分,と定義される.要は,「美人は得」ということわざって本当なの?ということを回帰分析した論文.結論は,Beauty Premiumは存在する,となっている.美人は得なんだってさ.
もちろんツッコミpointもある.データに客観性がない,限界効果になんの意味があるのか,一致性はあるのか,ほかの業種だとどうなのか,本当に因果関係なのか,etc.
でもこの結果自体,けっこうおもしろいと僕は思った.でも発表途中で聴衆から「Beauty Premiumを実証して,なんの意味があるんですか?」という質問があがっていた.それで,学問の目的ってなんなんだろう,とか考えてしまった.全ての研究は,現実社会の役に立つ研究でないといけないのだろうか?それとも,「おもしろい」とさえ思えればそれでいいのだろうか?Beauty Premiumの論文は,この研究自体がおもしろいと思った.
発表者は,研究のモチベーションとして,もしもBeauty Premiumが存在すると労働市場のパレート効率性が損なわれるからこの研究は大事だ,と冒頭に述べていたけど,仮にパレート効率性が損なわれていなかったとしても,この研究はおもしろいからそれでいいと思うんだけどなー.

グーグル,ロマン,科学

科学者に衝撃を与えた「ロマンティックでない」グーグル

我々科学者の「ロマンティックな研究態度」が脅(おびや)かされているんだ、いやもう敗れてしまったのではないか。「トンボのように飛ぶ」にはどうしたらいいかを科学者は未だに解明できないが、遥か昔に飛行機を発明し、人類は飛行機会を得た。それと同じことが今「知性の研究」の分野で起きつつあるんだ。お前たち、ロマンティックな研究をいくらやっていても「グーグル的なもの」に負けるぞ、時代はもう変わったんじゃないのか。茂木は若い研究者・学生たちをこうアジった。「ロマンティックな研究態度」とは、物事の原理を理論的に美しく解明したいと考える立場のことである。

グーグルの登場ごときで研究のロマンが崩れるほど,認知科学や複雑系研究者の情熱はちっぽけなものではないに違いない.研究者の目的は真理の追究だが,グーグルの目的は真理の追究ではない.どちらがすごいということではない.
グーグルが登場したところで,僕は,人間の脳みその仕組みを理論的に美しく解明してくれる優れた研究者がいつの日か出てきてほしいと今後も相変わらず思い続ける.実際にそういう研究者が登場する確率は低いかもしれないが,彼らがロマンを持っている限り確率は0ではない.しかしもしこの研究分野の研究者がロマンを忘れたら,僕のこの願いがかなう確率は0になる.
僕だけでなく,同じように願う人がたくさんいるはずだから,グーグルの登場ごときで研究のロマンをなくす必要なんか,ぜんぜんない.

新年度のペース

だいたい今年度のペースがわかってきた.ミクロと共著論文と単著論文にいそしむ一年という感じか.
去年は計量をずっとやっていて,このまま計量バカになるのも悪くないかと思っていたが,やっぱりそんな専門バカにはなりたくないと思った.知識の幅を自ら狭めることはないでしょう?いろんな方向に目を向ければ脳内活性化するはず.

”Freakonomics Intl Pb: A Rogue Economist Explores the Hidden Side of Everything”の読書感想

Freakonomics Intl Pb: A Rogue Economist Explores the Hidden Side of Everything Freakonomics Intl Pb: A Rogue Economist Explores the Hidden Side of Everything
Steven D. Levitt Stephen J. Dubner

William Morrow & Co 2006-01
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はっきりいって、伝統的な経済学者からすれば、「こんなものは経済学じゃない」と思うだろうし、経済学のことを知らない素人からすれば、「え?経済学ってこんなこと学ぶ学問なの?」と思うような内容だ。でも面白い。経済学を勉強している人も、そうでない人も楽しめるはず。
いくつかの「conventional wisdom(社会通念)」が本当に正しいか、データに基づいて実証している。データはウソをつかないというのが著者のスタンスらしく、僕はもうこの著者の流儀に心酔してしまった。現実のデータに目を向けて注意深く分析した結果が、あまりに「ヤバイ」ので、邦訳版は『ヤバイ経済学』と訳されている。
例えば「アメリカで90年代に犯罪率が急落したのは、経済が回復したからでも、警察の犯罪捜査能力が上がったからでもない。中絶を合法化したことで、潜在的な犯罪者がそもそもこの世に生まれなくなったからである!(中絶をするのは、低所得、十代の若者など、育児能力がない人に多く、そういう恵まれない子供は将来犯罪者になる可能性がとても高いことに触れている)」みたいなことが書かれているから。
もうひとつ例を挙げると、相撲の八百長の存在も立証している。まず著者は7勝7敗で千秋楽を迎えた力士がすでに8勝を確保している力士と勝負すると、「統計的に見て勝ちすぎる」ことを示す。さらに、この同じ二人の力士がその次に(勝ち越し、負け越しに関係ない場面で)対戦すると、7勝7敗だったほうが「統計的に見て負けすぎる」ことを指摘する。つまり、星の借り貸しがあることを統計的に洗い出している。
伝統的な経済学者というのは、データと向き合わず、紙と鉛筆と数学モデルで世の中のことが分かった気になれる幸せな人たちの総称なんだが、この本の著者はあまりにもそういう伝統的な経済学者とはかけ離れている。
とは言え、著者のLevittは、Harvard卒、MITでPhD、Chicagoの教授、ジョン・ベイツ・クラーク賞(ノーベル賞より難しいといわれることもある経済学の栄誉ある賞)受賞、という学界でも高いポジションにいる経済学者。Levittの影響で、これからの経済学はようやく「現実に目を向ける」という方向に向かうのかもしれない。なんせLevittは、たとえば、親が子供の将来にどういう影響をもつか分析する話題で、

we are less pesuaded by parenting theory than by what the data have to say. (我々は、子育てに関する理論よりもデータを信頼している。)

とはっきり書いているのだから(pp.157)。