『沈黙』の読書感想

どれだけ不条理なことがあったとしても、いつもと同じように朝になると太陽が昇り、いつもと同じように小鳥がさえずり、いつもとまったく変わらない日々が何食わぬ顔で進行してく。これだけ不条理なことがあるのに、なぜ神様は助けてくれないのか?なぜ神は沈黙を守っているのか?という意味がタイトルの「沈黙」という意味。「沈黙」を感じさせることは世の中にいっぱいある。こないだ自殺した中学生はきっとそれを痛感してたんだろう。

もちろん、努力していないのに天国から幸運が降ってくるなんてことはない。だけど、努力してれば天国から幸運が必ず降ってくるとは限らない。この本の主人公は、どこまでもまじめに努力している人だった。

宗教的な話をしなくても、単純な話で、人生にはいい時と悪いときがある。極めて悪いときに沈黙に対して苛立ちと不条理感を感じる。そういう思いをすることは人生に一回か二回くらいしかない。早めにそういう体験をしておくと後の人生が豊かになる、と思う。

『文章表現400字からのレッスン』の読書感想

この本から学ぶことが多かった。読んでよかった。「書く=考える」という同値関係が成り立っているということを強く意識させられた。「発想がテーマから氾濫し、やがて反乱する」という表現が印象に残っている。文章を書くとき、「こういうテーマで書くぞ」と最初に決めても、書いているうちに次から次へと本来書こうと思っいなかったことが頭の中に浮かんできて、最終的に、最初に設定したテーマからは大きく外れることもある。考え方によって、「それは脱線しただけの駄文」かもしれないが。でも、こういうことはあって当然。なぜならば、文章を書くとき、書く内容は前もって頭の中のどこかにあったわけではない。文章を書いているうちに、次第に「あ、おれこういうこと書きたかったんだ」という発見がある。それって当然のことでしょ?というのが著者のスタンスで、すごく共感できた。

共感できた理由は、このblogを自分が実際にやっていて、そういう感覚を共有できたから。あるニュースや本の読書感想と称してエントリーを書き始め、実際に文章を書いているうちに、「自分はこういう風に感じていたのか」といった、自分でも実際に文章書くまで分からなかった発想を発見する、ということがよくある。

「書くとは、考えることに他ならない。しかも、厳密に考える。」さらに、文章と人格は別、と著者は言う。私たちが書く文章は、本人が他者に対しこのように見せたいというフィルターにかけて選択した結果としての言葉、表現である、と。故意か無意識かは関係ない。だから、この文章を書いている僕の本来の人格と、実際に公開されているこの文章は別物なのだと思う。そんなことは考えたことがないが、無意識にきっとこのフィルタリングをやっている。

文章は、あくまでの表現であり、化粧や服装と同じ。会話の中で発する言葉は、相手の反応を見ながらこちらの発言を選り分けられるが、文章は、それが書かれた時点では一方的。したがって文章を書くという作業はとても孤独なもの。

義務教育で何回も書かされた作文は、「最初に文章の型・ストーリーありき」というもので窮屈だった。例えば、夏休みの作文といえば、カブトムシをパパと一緒にとって楽しかった、やっぱりパパって背が高くってすごいなぁ、・・・みたいな、「パパは偉大です」というストーリに帰着させておけば、大人は満足するらしいので、大人の顔色を伺ってそういう文章を無意識にうちに書かされて来た。

そういう窮屈さから開放されましょう、というのが著者のメッセージの一つだった。この著者はけっこう柔軟な人で、例えば日本語の乱れ、に対する上の世代に人たちの考え方にも反論している。言葉は、時代とともに移り変わっていく。若者言葉の乱れは、その移り変わりの最前線でしかない。この最前線には、未来の日本語が潜んでいる、と考えている。なんて柔軟なんでしょう。

我々は日常的に、どこかでインプットされたほかの誰かの言葉を、あたかも自分オリジナルの言葉であるかのようにして、他人に対して投げかけている。どこでインプットされたかというと、それは偉い有名な人が言った有名な言葉だったり、幼い頃に親や先生から吹き込まれてしまったもの。「最初に文章の型・ストーリーありき」の文章が良い文章である、と学校では吹き込まれたが、そんな窮屈な世界からは開放しよう、と著者は考えている。

では、どういう文章が良い文章か?というと、

よい文章とは、

①自分にしか書けないことを

②だれにもわかるように書く

ということを実現している文章。

と著者は定義している。納得。

“The Great Unravelling”の読書感想

英語が難しくって、読むのにちょうど一ヶ月くらいかかった。著者は超有名なポール・クルーグマン(Paul R. Krugman)教授。いちおう、Wikiで調べてみた。

ポール・クルーグマン(Paul R. Krugman)

ノーベル経済学賞が確実といわれている経済学者

と明記されている。

この本の主張は「ブッシュ政権はまじでクソ」の一言に尽きる。ブッシュ政権がやることなすこと全ての政策にダメ出しをし続けている。読んでみた感想は、まずクルーグマン教授は頭の回転が速く、頭がいい、ということ。そして、自分に自信を持っている。感情的に「ブッシュ嫌い」と言っているのではなく、自信を持って自分の高スペックな脳味噌を回転させて、明快な論理に基づいて建設的な批判をしている。この人と議論をしたら、絶対に負かされると思った。

いくつか面白かった点をメモ。

・マンデルを批判

p.395より引用。

It is the young Mundell, whose theories still dominate the textbooks, who earned the prize

1999年のノーベル経済学賞受賞者のマンデルにもダメ出ししてます。強烈です。

・イギリスのご飯がまずい理由をユニークに説明
p.391 “SUPPLY, DEMAND AND ENGLISH FOOD” で、なんでイギリスのご飯がまずいか、ということをおもしろおかしく書いている。

p.393より引用。

Well, the whole point of a market system is supposed to be that it serves consumers, providing us with what we want and thereby maximizing our collective welfare. But the history of English food suggests that even on so basic a matter as eating, a free-market economy can get trapped for an extended period in a bad equilibrium in which good things are not demanded because they have never been supplied, and are not supplied because not enough people demand them.

クルーグマンの理屈としては、こんな感じ。昔、イギリスではまずい飯を食わざるを得ない時代があった。その後、うまい飯が食える時代になっても、そのことを知らず、イギリスの人たちはうまい飯を自分たちが食えないと思い込んでいたため、うまい飯を欲しがりすらしなかった。需要がないのでうまい飯は供給されなかった。

つまり、需要がないから供給されず、供給されないから需要がない、という悪循環に入ってしまった、と。文脈としては、「市場がいつも万能とは限らない」ということを言うために出した例。

もともとTOEICを受ける前に英語に慣れとこうと思って読み始めたんだけど、読むのに一ヶ月もかかってしまった。もっともっと英語を磨こう。